人見知りゆえ出来ぬ事

人見知りを超えて子供の頃は少々対人恐怖症の毛があった身として、え?え?え?できない!一生できない!できないけど羨ましい行動が色々ある。

1.カウンター席とかで1人でお酒をたしなむ。まずこれが人見知りにとって何故ハードルが高いかというと、店主と会話しなければならないのではないか、なんか気のきいた事を話さないといけないのではないかという心労で多分酒をたしなむどころか、摂取するカロリー以上のエネルギーを冷や汗として消費するため、もはやジムにトレーニングに行くようなもの。それならジムに行く。それで根本的なことだが私はお酒が飲めない。

2.民宿とかペンションとか個人でやっているところ。これもビジネスホテルよりは人との会話、触れ合いをを強いられているような強迫観念に囚われゆっくり旅行を楽しめるなんてもんじゃない。もはやプリズン。私にとっては網走。

3.手作り作家さんのお店、個展。もう死にに行くようなもの。見たいものがあっても両手広げて待ってましたと言わんばかりに話しかけらやしないかと思うと、ジョーズに狙われたお気持ち。怖くて海に足を付けれない。

4.値切る。おっちゃんこれまけてとか、おばちゃんこれもう1枚つけてとか、私にとっては唱える事のできない魔法の呪文だ。これを唱えると少なからず相手と関わる時間が増えるが、お金を払う額を少なくできるし得物は大きくなる可能性がある。しかし私は相手と関わる時間が増えるという呪文の副作用に耐えられないので、その呪文を唱える事ができない。

5.色んな事を自分から誘う。映画、ショッピング、旅行などなど、友達どころか姉妹でさえ私は自分から誘う事はない。私のようなものに付き合わせては申し訳ない。時間無駄になっちゃうよ?というお気持ちがみっちりシミコーンチョコ味のチョコくらい心に染み込んでいる。チョコ味美味しいけど、きな粉味が前はあったのになくなっちゃったんだよあ、残念。

 

他にも色々人見知りゆえ制限されている楽しみがあるのは間違いない。いや、それを楽しめないから人見知りたる者として存在しているので、楽しみは制限されている訳では無い。が、経験は圧倒的に制限されている。そういう事で人見知りでも経験を増やせる事に夢中になりやすいのかもしれない。登山しかりバードウオッチングしかり。

 

そういえば今日はウグイスの初鳴きを聞いた。冬はジエッジェッと渋い鳴き声していたのに、今日はホーケキョ!と短いながら鳴いていた。じょうずに鳴きまちたね〜♡と気持ち悪い声でめちゃくちゃ話しかけておいたけど、鳥には話しかけられる。庭の雀にもずっと話しかけていたら最近は逃げなくなってきた。鳥に話しかけるエネルギーをもっと人との関わりに向けられないのかねえ。と自分で自分をたしなめてもいたしかたなし、でありますわ。