鹿ゴロゴロ

妹が新車を買って半年も経たずにサイドミラーにバードがストライクしてミラーが吹っ飛んだ。部品が揃わないのか修理が長引いてやっと直ったと思ったら、先週今度は鹿とガチンコ勝負してボンネットに穴が空きまたもや修理に出す事になったらしい。そのうち猪にでもぶつかられたら猪鹿蝶ならぬ猪鹿鳥で花札作れるがな。

 

ドラレコを見せてもらったら2匹の鹿が飛び出して来てそのうちの1匹に思いっきりぶつかり、鹿は吹っ飛んで道路をゴロゴロ転がり足をバタつかせているではないか。妹が慌てて車を停めて車を下りたらもう鹿はいなかったらしいが、おそらく山のどこかで死んでいるだろう。あの勢いでぶつかったら流石に厳しいだろう。

 

かなり衝撃を受けてしまった。私は自分の食べるものは自分でちゃんと用意出来る人間、農家やハンターに憧れがあるのだが、のたうちまわる鹿を見てこんなにショックを受けているようではハンターとか無理なんじゃね?と自覚する。君に鹿が撃てるか。自問自答。いつか自分が生きる為に鹿の命を頂かなければならなくなった時は迷わずひとおもいに、一発で仕留められるようなハンターにならなければいけない。今度Netflixシティーハンターやるからいつか私もフォレストハンターになる為に参考に観ておくかな。まあ全然ハンター向きの性格ではなくて獲物撃つ度に鬱になりそうだからやめておこう。

 

そういえばジョギングを始める前はウォーキングしていてヒマだからこの世が私だけになったら、と色々想像してやっぱり農家とハンターじゃないと生き残れないな、と思ったのだ。その想像の中で私は徐々にハンターになり作物を育てれるようになっていく。しかしこの妄想がある日一瞬で怖くなってやめてしまった。それは少人数でも人が生き残っていたら、と考えるとゾッとしたのだ。統制というものが無くなった世界で人がある程度生き残っていたら、最悪である。親しい人ならともかく素性の分からない輩が生き残っていたらせっかく作った作物や獲物を取られるだけでは飽き足らずこちらの命も怪しいではないか。

 

どーせ世界が滅びるなら中途半端に人は残すなよ、私以外は。というサイコパスなセリフを最後にその妄想を終わらせた。

 

こういう妄想をしちゃうあたりウォーキングからジョギングに変えといて良かった。ジョギングは、ツラ〜走るのツラ〜って思考と、いつもの秋田犬の小屋の前を通る時に番犬ご苦労さま〜♡おやすみ〜♡って思考しかないので、サイコパス妄想をするヒマがない。

 

最近は仕事でどうせクソめんどい肩書きやらされるなら、とドンドン改革を進めて行っているのでプライベートに色々思考するのも疲れる。秋田犬に吠えられてニッコリするぐらい何も考えないのが丁度よいのだ。