壮大なる祈りイベントリレー

高速バスでの出雲への旅。いくらシートのグレードをあげてもグッスリ眠れるものではないので仮眠状態で出雲へ到着。眠くてヨレヨレだが早速稲佐の浜へ。稲佐の浜で取った砂をスサノオが祭られている社にお供えし、その後お供えしてある砂から奉納した砂と同量を持ち帰り、家にまいて厄除けの結界を張ったり、持ってお守りにしたりするというイベント発生なのである。楽しい。友に「ねえこの砂の箱から持って帰るって言ってもこの砂前の人達が今奉納したばかりで意味あるん?」とイベントにケチがついたので「大丈夫。下の方は昨日以前の砂だから霊力宿りまくり効能抜群だから下の方から頑張って掘って持っていくんだよ」と新たなイベント、「深く掘る」を勝手に追加しておいた。

 

それから八百万の神々が神在月に泊まる宿的なお社へのお祈りイベント。友が「まだ神在月でもなくて空の社なのに参っても意味あるん?」とまたもやケチがついたので、説明の板をバーンと見せて「ほら、ここに書いてあるっしょ。神在月以外の平時はここから八百万の神々に祈れる場所、つまり八百万の神々へ繋がる窓口業務担当社なんよ!祈っとこ祈っとこ!」と、祈りの押し売りをしておく。

 

それからまったくの私の趣味で四角突出型墳墓を見に行く。ああ、いにしえの時代、大和政権が前方後円墳を造る1000年も前からここにはこのような不思議な形をした巨大な墳墓を作った一大勢力があったんだな、と思うだけでもジーンとしてロマンを感じる。そもそも古事記には出雲系の神様もたっぷり出てくる。古墳時代にもまだここらあたりにはヤマトと張り合う巨大勢力があって、それの名残が出雲大社だと想像すると、同じ国なのに2000年も前はまだここは同じクニではなかったのかも、と思うと日本から出ていないのに違う文化圏にタイムスリップしたようで楽しい。でも突然四角突出型墳墓が造られなくなったのは不思議だなー。考古学者になりたかったな。

 

それから友の希望の松江城に行く。何気に私はこの松江城で、国宝五城制覇したようだ。国宝の城を訪れるにつけ、第二次大戦の空襲で焼け落ちた名古屋城は今思っても口惜しや、である。もし燃え落ちていなかったら確実に今の国宝にも指定されていたであろう。名古屋城の展示室には空襲で焼け落ちる名古屋城の写真もある。それもたしか燃え落ちたのは終戦まであともうちょっとのところだったハズだ。日本で1番最初に当時の国宝に指定されていたのに、城を愛する地元の人の目の前で焼け落ちていく様を想像すると涙を禁じ得ない。城とか国を焼かれるのは辛かろうな、と現在進行系の国々を思う。出雲大社で一人よがりの願いを祈るより世界平和を祈っておかないといけなかったか?ま、いっか。

 

帰りも高速バスで帰り、楽しかったけど老体には高速バス辛くね?という最初から分かっていたけどね結論に達し、次回は飛行機とかで行って石見神楽も見ようねと話す。そしていつか稲佐の浜に神様をお迎えする夜のイベントに参加したい。去年は2万人くらいが浜辺に来たらしい。幻想的なその光景をみてみたい。2万人も来てたら幻想じゃなくて喧騒になりそうだけども。

 

でも縄文時代からもずっと、いにしえの昔から祈りを捧げてきたこの日本という国が、科学が進んだ今でも祈りというものをいかに大切にしているかをしみじみ感じる。祈ってきたのだ。いにしえの昔から墳墓の上で、古墳の上で、形が神社や寺に変わってもずっと絶えず祈り続けてきた。だったら私もこんな壮大に時を超えるおもしろイベントに参加しない手はない。祈る事で縄文、弥生、古墳の人と同じ文化を少なからず共有していると思うと祈らずにおられないでそーよ。遠い遠い、何千年も前の我らが爺様婆様お父様お母様、あなたたちの何百世代の子孫は変わらず祈ってるぜ。最高にイカした文化を残してくれてサンクス!

 

大体日本人は災害のせいで不安がりで慎重な性分が生き残ってきやすかったのである。こんな不安がりちゃん達が祈る対象がなかったら病んじまうぜ。きもーち祈り多めに過ごして精神安定剤にしておこう。

ミジンコの最高の生を祈る

今日は兄の命日だ。2日前に夢で兄が出てきた。みんなでコタツを囲んでお萩を食べている。それを母に話したところ、ちょうど27日にはお萩を作ろうと思っていたとの事であった。

 

最近知ったがお萩は萩の時期の秋に作るあんこ餅、ぼた餅は牡丹の咲く季節に作るあんこ餅との事。秋の小豆が採れたばかりの時期はそのまま粒あんとして作り春になると小豆が固くなるから皮をこして、こしあんにてあんこ餅を作るとの事であった。へえ〜と思ったが幼き頃からこしあんのぼた餅など食べた事がない。歴戦のぼた餅職人、THE田舎のオバチャンズが作ってくれたぼた餅もお萩もみんなゴッテゴテの粒あんであった。そんな田舎のオバチャンズもみんな鬼籍に入り、今日は珍しくお母様がぼた餅を作ってくれるという事で楽しみである。

 

兄はこしあんも大好きだったから赤福餅とかも好きであった。この前お土産で赤福をもらい、私は粒あん派であるのでまあ、1個食べるかと思って食べた。何故か以前より美味しく感じた。赤福を見ると毎回兄を思い出す体になってしまったからか。赤福好きだったなと。お伊勢さん今度行ってこよう。来週出雲大社にお参りに行くのだから、ビッグ神社繋がりでお伊勢さんも久しぶりに行って赤福餅買ってこよう。

 

死は状態生は愛しき蜃気楼とか、生物は分子の澱みとか、そういう色んな人の言葉を兄が死んでからはしみじみと実感するようになった。昔川を見ていて同じところで小さな渦が生まれる淀みがあってそこに小さな泡がクルクルといつまでも生まれて回っていた。きっと生物って川の流れのあの泡のようなものだ。泡よりは遺伝子を使ってる分頑張って川の中に留まっているけど、蜃気楼のように泡のようにみんな誰1人の例外もなくいつか消える。その人であったものは川に戻り大気に戻り自然そのものに還る。だからかな私は山に登って濃く自然を感じるとたまに泣きたくなる。かつてその人達だったものは澱みから解き放たれて今は自由に世界をクルクル回っている。またいつかどこかで新しい澱みとなって生まれてくるかな。

 

兄よ、その時は疲れきってしまわない人生を歩めるといいね。でもまあその淀みが人間とは限らない。蝶でも鳥でもミジンコであるかもしれない。それでも次こそはその生の最高の生をまっとうして欲しいと願うのだ。

お飾りの休日

サッカーさん異動になって部から離れるらしいですよ。ヤッターですよね。と心の声ダダ漏れ情報を部下の太郎が私に教えてくれる。サッカーさんは去年性悪派遣さんの流したトンデモ噂にマンマと乗せられて私と部下を貶めようとした人だ。私は性悪派遣さんを浅くしか知らない人は、彼女がいい人に擬態できるのもあって、騙されるのも仕方がなく部下が人事にチクってサッカーさんも懲りたであろうと手打ちにした気持ちでいた。が、太郎はその点ブレない男である。サッカーさんの異動が心より嬉しいらしく、ヤッターとニコニコの態度を隠さないのである。

 

太郎は気分屋でムラがあるが仕事はソツなくこなすので、隣の課が部的には重要な課であるのに、課員の能力が足りず、部としては太郎をその課に異動させたいのである。私もたった一人の部下が世話は掛かるが仕事量はこなしてくれるので今まで抵抗していたが、その内太郎を手放さないといけない。本人にもそれは軽く伝えてある。大体女人を課長にしたいだけで作られたこの意味の分からない課自体が部の戦力を削いでいる要因だ。できれば優秀な人材をすぐにでも隣の課に投入したい。というか私自身元隣の課の仕事をしていたので、今すぐにこの課を解体して私を平に戻して隣の課の仕事をやらせてくれたらええのに、とそれこそ心の声ダダ漏れで呟いたところ、太郎がいや、それは無理でしょ。と即ツッコミをされたのであった。ああ、女性活躍してます♡投資家さん、いい会社でしょワレ♡の粉飾に使われた私は大迷惑であるが、ニーサをやろうと株の事を少し知った私としては、なるほろなあ、そういうことかあ。と諦めの境地である。まあこんな無能なオバハンが飾りになれるとしたらそれくらいか。

 

世の中は5連休というけしからん事になっているが我が社は3連休のみというあな口惜しや状態である。しかし台風が来る予想が外れて土曜日は晴れるとの事でそれならと急遽夜車をとばし前泊仙丈ヶ岳登山へ。ずっと曇り続きで訓練登山以外できていなかったので、今回の景色を楽しむ登山は大成功であった。

 

帰りにバスを待っていると60代くらいの女性の団体が、プシュッとビールを開けてみんな楽しそうにお酒を飲んでいる。登山後のビールってきっと格別おいしんだろなあ。お酒が飲めない私としてはうらやましい限りである。そしてワイワイ楽しそうなのも良い。団体登山にどうしても向かない性分の私としてはそれもうらやましいが、そのうらやましさを超えて単独登山する楽しさは手放せない。

 

今日のお山は良かった。緑が多くてとても良い匂いがした。ホシガラスが鳴いていた。イワヒバリがこっちに来てくれた。そういう自然と一対一で静かに過ごすその時間が私にはどうしても必要なのだ。だからワイワイ楽しそうな人達を見てこっちも楽しくなるくらいでちょうど良いのである。

下山途中しゃがんで写真撮っている人がいたので、何を撮ってるですか?と聞くと、年輪だという。年輪数えてみようと思って。大分古い木みたいだから。と仰った。あの人も自然と一対一で向き合うタイプの人だな。山ではそれができるからやっぱり登山はやめられないのである。

稲佐の浜で拾うなら

来月友と夜行バスに乗って出雲への旅をする事になった。古墳好きとしては出雲はワクワクする。古墳が古墳になる前の赤ちゃん、四角突出型墳墓ちゃんが見られる墳墓群もあるし、出雲大社も松江城も石見銀山、石見神楽も見なくちゃ!と計画を立てようと思ったが距離的に全然1日では足りない。友の希望の出雲大社と私の希望の古墳の赤ちゃん、それに灯台くらいで終わりそうだ。

 

どちらにしても行くなら友に出雲大社とはちゃんと神話の時代から説明してあげないといけない、という頼まれてもいないのにウンチク垂れる気満々である。いつぞや山の辺の道を散策しながら妹に古墳のウンチクを聞かせていたが、いつの間にか妹が消えたと思ったらしゃがんで4葉のクローバーを摘んでいた事があったように、友も私のウンチクを聞きもせず海岸で貝でも拾ってそうだ。だが諦めぬ!

 

という事でまたもや古事記を引っ張りだしてきて入念に読む。やっぱ古事記おもしれえや。大体出てくる神様がフツーにヤバいやつらばかりである。なんでそんな短気で考えなしで性欲まみれで浅はかで残酷なの&バカなの、ってツッコミたくなる。これに作られた日本ってどーよ?って思うがなんか神でこうならうちらもテキトーでいいか、ってなるくらいは安心できる。

 

そんな感じで楽しく読んでいたところ、私が中古で買った古事記は古い本で全3巻なのだが、3巻の最後に短いあとがきが書いてあり、それを読んだだけで涙が出てきた。

 

何この短い文だけでめちゃくそドラマを感じる文は〜泣けるだろう。そこには夫婦愛、研究者とし最期まで人生を全うした姿、教え子たちとの師弟愛などを想像させるに十分なあとがきである。いや、マジでこれドラマにできるよ、もう。

 

あとがきには自分の体力が衰えて3巻の執筆が思うように進まず、教え子の力を借りて完成に至ったこと、その2人の教え子への謝辞、その後には完成を強く望んでいた妻の献身が夫婦2人の思い出になる事を書いており、口述筆記と書いてあるので気になって経歴を見るとそのすぐあとに亡くなられているではないか。

 

尊すぎて涙と共に血反吐吐きそう。うっうっ。この本を中古で買ってすんません。どうにも読みやすく、丁寧で面白いと思っていたが貴方様の貴重な一生の知識や愛が込められておいででしたかあ!!

 

って、最近あとがきとかで感動させられる事多いな。というか昭和初期ぐらいの人達って「信念」ていうものがハッキリクッキリあってそれに感動するんだろうなあ。

 

今の時代どこにも私含めて誰も「信念」ていうものがなくて、どこへ行ってしまったの、信念さん。てなっちゃう。

 

出雲の稲佐の浜辺にでも落ちてたら拾ってこようかな。

気持ち悪いでござる

久しぶりの出張。新幹線に乗っているとこのままいつまでもどこまでも乗っていたくなる。富士山は今日は雲を被っている。仕事したくないでござる。 

 

部下の太郎がこの前の二次会で〇〇くんと派遣のネッコさんが付き合ってるのを、2人がひた隠しにしている話で盛り上がったんですよ、と話しかけてくる。2人がいつも有休が被っている事を怪しんだ他の派遣さん達が付き合っていることを嗅ぎつけたらしい。私など数ヶ月前、別の情報網から、〇〇くんが派遣さんと結婚前提で付き合ってると聞かされても、あっ、そう。良かったね。的なもので相手の派遣さんが誰なのかなどまったく興味がわかず、その日にその噂を聞いた事自体を忘れたくらいなのに、みんな何故に他人の惚れた腫れたを知りたいのであろう。あと誰が仕事休んでるかなんて、1ミリも気がつけれない私としては、2人の有休が一緒って気がついている他の派遣さんたちの他人への興味がもはや私的にはホラーである。

 

ただ私などは一点集中型であるので、その他大勢に興味を向ける事はないが、これぞこれぞと思った人には並々ならぬ興味を向けるストーカー体質でもある。最近川端康成の本を読んでいるのだが、まったくなんと解釈してよいのか分からない話ばかりである。これは私の理解力の無さの為せる技。読んだあとにハテナ?が1000個くらい飛ぶ。大体張り倒したくなるような男ばかりが主人公なのだが、その中で「みずうみ」という本も主人公の男はやはり張り倒したくなるような男なのである。が、様子のおかしさ気持ち悪さが強めであるので、他の話より面白く読めた。なんじゃこやつ。と思いつつ、私も並々ならぬ興味を持った人にはこういう事しちゃうかもなあ。と思うのだ。

 

ただそんな興味はあとにも先にも小学校の片想いの相手Y君だけ。Y君がインスタとかやってなくて良かった。絶対インスタでモニター、見張り、護り人、セコム、またの呼び方、ストーカーしちゃう。まあ、たまに所属している大学の教員情報をみて、あ、まだ准教授か、早く教授になれるといいね♡ってキモい行動はしているがな。

 

Y君が過去好きすぎたせいで貴重な青春時代にかなり癖が曲がってしまった。顔はいいし頭はいい、好きな人だけにしか優しくないって漫画の主人公かよ。ちなみにY君の好きな人は私ではなかったので、私自体は興味のない冷たい目を浴びせられるのみであったがな。書いてて悲し。

 

「ねえねえY君、今までに死にたくなった事ある?」って聞いたら「あるある。」「私もだよ。」って会話をしたのを覚えている。あの時のダークな苦しそうな顔。ご馳走かよ。じゅる。

 

小学校の時に出会った男の子が最高に自分の癖に合致したため、その後あんまりみんながハマるようにはアイドルにハマったり、その他大勢の他人に興味を向ける事ができなくなったのかいな。基本的に私はあまり人の外見には囚われないほうだ。それより頭が良い人が好きである。理系だったらなおよし。研究者と結婚したいくらいだった。

 

母に私は学者か獣医かそういう頭のいい人と結婚するよ!と言ったら、そういうのに限ってくたびれた平凡なサラリーマンと結婚するんだよ、と言われたがまったくそのとおりになった。それで全然今幸せだから良いのだが。

 

他人へ割く興味は小学校から結婚するまでずっとY君に割いてしまったので、今更それ以外に割く興味は雀の涙ほどですわ。誰かの休みを把握するなんて気持ち悪い事できないわ。というか全然それより過去の私の方が執着すごくて気持ち悪いでござる。と帰りの電車で思いました。

 

願わくば花の下にて静寂を

息子さんが東大に通っているカッチョさんと飲み会で話す。様子がおかしいと思ったのはいつ頃なの?と聞いたら小学3年生の頃らしい。息子さんの本読むスピードが漫画ぐらい速くて、読んでないじゃないかと突っ込んだところ、全部読んだよと言い内容もしっかり記憶していたのだという。大体の人が文字を読むとき頭の中で声を出し字を読んでいるが、息子さんの頭の中はまったく無音のようで、開いた時に1ページの情報がざっと入ってくる速読機能付きの脳だ。うらやましい。

 

しかし、めげることはない。うちの息子も様子のおかしさでは負けていない。なんてたって親が血反吐を出しながら月4万円も出して数学の家庭教師をつけたのに1年後のテストで18点を叩き出す、最強の脳をお持ちだ。完全に家庭教師のトラ〇アルを敗北させ、家計を火の車どころか木炭の車にした。それで理解したのだ。息子の脳は数学を理解するという機能を完全に削ぎ落としたエコな脳になっている。いわば脳のエコノミー版である。何の機能に特化したエコノミー版かは開発者の親でも分からないが、それは神の秘匿情報のようで未だに隠されている。

 

飲み会は楽しかったが二次会は行かずに帰る。お酒が飲めない体質にてお茶ばっかり飲み、そうすると夜はカフェインで大体眠れない。眠れても浅い眠りだ。仕方ないので飲み会で聞いた色んな人の色んな趣味の事を考える。私は人の趣味の話を聞くのが好きだ。趣味を聞かれるのも嫌な人はいるだろうが、大体の人はイキイキと自分の趣味を話してくれる。

 

お菓子を作ってホームパーティ、朝から晩まで映画館で映画三昧、バスケ、登山、国内旅行、海外旅行、ショッピング、釣り、などなど。無難な趣味ばかりだが、朝から晩まで映画館で映画三昧とかいう様子のおかしい趣味を聞くと、拾い物をしたような気分になる。大変良い趣味だ。私もマネしようと思う趣味を聞くとワクワクする。

 

私も趣味を聞かれた時は無難に登山、と言っているので、本当はみんなもっと私がワクワクするような様子のおかしい趣味を持っているのかもしれない。ちなみに私は鳥見はともかく、鳥の羽集め、鳥の巣集め、古墳巡り、アニメクソほど見る、あたりの趣味は相手の様子のおかしさを見極めて開示している。

 

今日は兄の一周忌だったので兄の息子、私にとっては甥達に久しぶりに会った。兄は離婚していたので疎遠な甥であるが、立派にオタ活している素晴らしい甥達。アニメ今期何見てるの?と聞くと攻殻機動隊というので、がっしり握手をし、絶対神山監督のテレビシリーズも押井守監督の映画版も履修するのだぞ、と素晴らしい助言をしておいた。

 

私の父母は兄が亡くなった秋が来るのが嫌らしい。ただでさえ秋は物悲しく寂しいものなのに去年の惨事を思い出すからだろう。私はそれなら春の桜の季節にこの世を去ろう。残された家族が物悲しい思いにならないよう、春のうらららら〜とした明るい季節に。西行法師の詩、願わくば花の下にて春死なんの通りに。130歳で。でも130まで生きたらそもそもその季節が来ると物悲しさと共に私を思い出してしまうほど惜しまれる事もないような気がする。いやでもなー、ニュースにはなるよ、130まで生きたら。それで西行法師の詩のように死にたいと生前から仰っていたようで、その通りこの世を去られたという事で大変幸せな人生だったと玄孫の〇〇さんのお話しです、って言われるわけよ。ちなみにまったく仏教徒ではなかったのになんで西行法師やねん、という玄孫さんがツッコミんでおりました。って感じも言ってほしい。

 

こんな想像ばかりしているので、脳内はいつもうるさい。東大息子さんのように静かな脳内に憧れるなあ。

ナメクジの殻

おもちゃが好きだ。机の上には何かしらおもちゃがおいてある。今はあひるコースターとアサリの水鉄砲で、以前はコマや魚釣りゲームであった。100均のあひるコースターは姉も妹も母までも欲しいというので、近所のSeriaはあひるコースターの買い占めにあっている。

 

以前から思っていたが我が姉妹は同年代より子供ぽい。大人女子が好きになるようなアクセサリーや服、カバン一切興味を示さず、細々として可愛いらしいものや、おもちゃなどを集めたりして遊んでいる。

 

あひるコースターのあひるは黄色と緑色で、黄色の方をキイちゃん、緑をミイちゃんと100均の製品に似つかわしすぎる安直な名前を付けて、会社で嫌な事が会った日などはカチャカチャコースターを操作し、階段を登ったり滑り降りたりするキイちゃんとミイちゃんに永遠に愚痴っていたりする。

 

昨今は何でもAIに相談するようだが、その点私は手動エネルギーであひるを動かし、悩み恨み辛みを聞いてもらっているので電力も使わず大変にエコでサスティナブルで持続可能でスマートでエクセレントでワンダフォ〜である。まあAIと違って返事はあひるが階段を登る時のカチャカチャ音と滑り降りる時のジャージャー音だけであるが。

 

子供達にも是非にとあひるコースターをやってみろ、と勧めるのだが、あひるコースターの出す甲高い音が耳障りで嫌だという。私にはその甲高い音が聞こえない。子供より子供ぽい行動をしていても、耳は立派に年をとっていてモスキート音のような高い音は我が耳に届かないようである。悲しい。あひるコースターで歳の差を感じるとは。

 

私は今も寝るときはお気に入りのタオルケットをモミモミクンクンして寝ており、ブランケット症候群というらしいが、あまり精神的に子供すぎるのが心配になって、これはアダルトチルドレンとかいうやつだろうか、と心配になりネットでテストしてみたが、フツー、て感じの回答だったので安心した。そもそもアダルトチルドレンだったりブランケット症候群だったとしても100均のおもちゃや小汚いタオルケットで幸せになれているのなら何ら問題ないような気もする。

 

幼き頃、子供はいつになったら大人の考え方になるの?と思っていたがあの答えはいつまでも子供のままだよ。ただそれを包む殻みたいのができたら大人なんだよ、って幼き私に言いたい。その点私は殻があんまり上手にできていなくてナメクジ状態なので、塩かけられると一気に溶けちゃうような気がする。それを守るための小汚いタオルケットやあひるコースターなのかもしれぬな。