アホ、思考停止ス

近所のおば様に、〇〇さんの事ね、うちの娘がだ〜い好き!って言ってるよ!とお声をかけられた。娘さんは確か私より一回り程下で3人のお子さんがいる犬好きの娘さんだ。裏山散歩に行く時にその娘さんの家の前をとおり、たまに会釈するだけなのに何故にだ〜い好き!と言われるようなことになったのだろう。

 

まあ、たしかに私も私みたいなあっちチョロチョロこっちチョロチョロして植物眺めたり生き物眺めたり動物に話しかけたりしてる大の大人を見かけたら、あ〜あの人動物や自然大好きなんだな、私と一緒ニッコリ、ってなるな。娘さんは犬飼ってるし動物好きであるので、私からダダ漏れしている動物好きのオーラを感じ取ってくれたのであろう。

 

しかし世間のことは疎すぎる。この前突撃ちゃんに彼氏からのホワイトデーがディーオールだったんだよ、と言われた時に固まってしまった。ディオールっつーのは高いのか安いのか、これは安すぎて信じられぬ、という愚痴なのか、高いものもらってうれち、っていう話しなのか、それによってこっちも反応をかえなければいけない、が、私は化粧品や香水やアクセサリーに全く興味がないので、どういう反応が正しいのか皆目わからぬ。これがさっきあそこの林でルリビタキ見たよって言われたら、すごいね!ラッキーだよ!て驚けるが、これは驚いていいものか悪いものかわからぬ。

 

へ、へえ、なにもらったの?とぎこちなく質問を返したら、化粧品、私、200円くらいの材料でチョコ作ってあげただけなのに、その何倍もの値段のものもらっちゃった、と言うので、おお!これは驚いてあげれば良いのだな!と気が付き、すごいね、良かったねえ、と驚き一緒に喜んでおいた。

 

4月にクソ&クソなことに昇進が決まっているのだが、妹にその事を愚痴ったら、こんな世間知らずの本物のアホが昇進できるなんて、おねーちゃんの会社本当に大丈夫?と心底私の会社の事を心配されたが、私も心底妹の意見に同意しかない。今日に至っては多分4月過ぎてからもまたすぐ覚悟がいる事になるから、覚悟しておいてねと副部長に言われたのだが、つーことはあれか、管理職というヤツがマジに迫っているという事か?嫌すぎて今すぐ退職したい。前々から管理職は絶対いやじゃ、おらあ専門コースを選ぶ、と毎回自己申告の時に希望しておったのに、これはイジメではなかろうか。

 

みんなが残業している中颯爽と定時で帰って空気読まないヤバいヤツアピールを常日頃からしていたのに、逆にそれが仇になって、こいつ管理職にでもして苦しめたろ、ってなったのかもしれぬ。まあ、昇進の一番の理由は何か分かっているがな。それは女であるという事だ。

 

女の管理職を増やしたい会社の思惑で、多少どころかめちゃくちゃ無能でもえいや、と昇進させるのだ。ムカつく。ちょームカつく。それってちょっとどうなの。努力して管理職になりたい優秀なメンズが無能なウィメンズに油揚げをかっさらわれてしまうこの構図。でも考えてみたら今この部で優秀なメンズはみな昇進している。あと他に昇進させられそうなメンズはいないとなったら、じゃあ同じ無能ならメスの方選んでいい宣伝に使おうね、うちの会社女性も活躍してまふ〜っていう宣伝に、って事なのだろふ。

 

いや、でも待て。一縷の望みを捨てるな。まだ4月の昇進後、次の昇進が本当に決まった訳ではない。あくまで候補として上がってるから覚悟しておけよ、っていう副部長の助言のみで確定事項では無い。こんな無能を管理職にするようなアホな会社では無いはずだ。しかしこんなアホを少なからず4月には昇進させるってところで、会社がアホである確率もめちゃくちゃ高い。会社がアホなのでアホも昇進する。アホは昇進したくなくてアホをアピールするが、そもそも会社もアホなのでアホのアピールに気が付きもしない。これではアホは管理職を避ける為には会社を辞めるしかなくなる。しかしアホは会社を辞めるとアホゆえ、他の会社に雇ってもらう事ができぬ。会社はどーせアホは会社を辞められる訳がない、とアホらしからぬずる賢い計算で会社はアホを昇進させる。

 

アホアホ書いてたら何か訳分からなくなってきた。ま、どーでもよ。週末に山や鳥や観光や漫画やアニメや映画や小説や食事を楽しめればあとはもう思考停止で生きていこう。

ドッグウオッチング

姉妹がアウトレットモールに行くと言うので、その場所が出来てからこの方一度も足を踏み入れていないしな、と思い一緒に付いて行くことにした。もとよりショッピングに興味はないので日陰になっている植木に腰掛けお犬様達を目の保養に眺めておる。ここはお犬様を連れている人が多い。姉はそこまで動物好きでも無いので、こんなところまで連れまわして本当に迷惑、と仰っている。

 

私はお犬様大好きなので今日はドッグウオッチングである。腰をどっしり据えて目の前を通り過ぎるお犬様達をいやらしいしつこい目つきでジットリ眺めている。

 

ダンドツ多いのはトイプードルである。柴犬も多く、たまに黒柴もいる。その他ヨークシャテリア、ウィペット、ワイマラナー、多種多様なお犬様達がいて大変よろしい。出来るなら触らせて欲しいが、聞くところによると狂犬病の接種率が年々減っているようなので、中にそのような無責任なカイヌシーも混じっているだろうし、そもそも他人のお犬様をいきなり触るのは失礼であろう。だからジットリ眺めているだけだ。

 

しかしな、私は本当は和犬の血が濃い雑種犬が大好物なのである。そういうお犬様を連れた人は皆無なのである。天皇陛下御一家のお犬様は雑種のようだがマジで私のツボを抑えている。人のコントロールが極力入っていない和犬の血に、プラス雑種となったらむかしむかしの犬の祖先達の野性味を感じられるではないか。

 

家畜となったこの身の上、厳しい自然では最早生きられぬが、野性味溢れるお犬様に憧れるくらいはいいだろう。人間なんて家畜化し過ぎて体毛ツルツルメンタルよわよわになってしまったぞ。この先氷河期来たらどうすんねん。

 

そういえば以前山で、綺麗な野性味残る雑種のお犬様を連れて、またそのお犬様が気品溢れるお顔立ちで、連れてるカイヌシーもサバっとした感じの綺麗なおねいさんで思わず声をかけてしまったのを思い出した。今考えればあの時もう少し山の話とかして仲良くなっておけばよかった。そしたらあの綺麗なお犬様とおねえさんと山一緒に登ることも出来たかもしれぬ。つくずく憎い我が引っ込み思案の性格が。

 

しかし今日は良い日だ。家に帰ったらバードウオッチングにも出かけよう。上手に鳴けるようになったウグイスに会いに行くのだ。

 

 

 

 

可愛さの優劣

いつも裏山ばかりに鳥見に行くのも、と思い初めて河原の方へ鳥見に行った。堤防から河原に下りるとウグイスやアオジツグミシジュウカラの鳴き声が聞こえる。冬には薮から出てくる気配も無かったウグイスが、今日は枝先に向かってぴょんぴょん移動し、ほ〜けきょ!と鳴いている。双眼鏡でそれを見ていると通りかかったお婆さんに話しかけられた。

 

鳥を見ているの?ウグイスさっき鳴いていたけど見れた?と尋ねてきた。はい、見れました。と言うと、そう、それにしてもいい趣味やね。と褒めてくれる。そうでしょ、そうでしょ。我ながら鳥見くらい金もかからず与えられる癒し効果が絶大のものもあるまい。費用対効果があり過ぎる。いや、費用対効果って仕事で聞きすぎている言葉でイラつくな。

 

しかし見るのみではなく可愛い鳥の写真を撮りたい!となったら一気に費用が跳ね上がるであろうな。写真にはハマらないぞ!っ思っているが、「初心者の一眼レフ講座」みたいな本を中古で買って読み始めてる自分が怖い。いつかシータを助けに行くパズーのいでたちに辿りついてしまわないか恐れている。バズーカー砲のようなレンズを欲しくなりだしたら金銭的に詰みなのだ。

 

会社ではいつものようにお昼休みに突撃ちゃんが大きな声で色々な話をしている。内容はフロア全体に筒抜けである。占いの話やお化粧の話や好みの異性の話をしている。それから女の子は二重が良い、といういうような話もしている。それについてはめちゃくちゃ異論ありありである。常々一重の人が二重にする事を勿体ない、と思っていた。一重の美しさは量産型二重に勝る。一重も二重も美しい。でも行き過ぎた二重信仰に気持ち悪さを感じないのであろうか。というか疑問さえ持たぬのであろうか。というかそもそもそんなに可愛いというものになりたいものなのであろうか。分からぬ。とんと分からぬよ、おばちゃんは。

 

所詮人間ごときの可愛さなど、鳥や猫や犬の可愛さには負けると思ってる人間には目の上の線があるかないかの些末な差に可愛さの優劣が分かるわけないのかもな。

じと目のカエル

何で飲み会来ないの?とガミさんに聞かれたが、素直な人間なので、コロナを挟んだらなんか飲み会出るのめんどくさくなっちゃった。と言ったら笑っておった。だって家帰ってジョギングしたいし、クリミナルマインドの続き観たいし、何より毎日これだけ人の多いフロアで仕事して、生身の人間は食傷気味なのだ。夜まで生身の人間多数に囲まれるのはキツイ。胸焼けしそう。

 

関係ないけど最近は吹き替えでなくて、字幕でクリミナルマインド観るようになったら、吹き替えのキャラの印象と大分違って感じる。印象が変わらないのはドクターリードぐらいかな。日本語と英語のキャラが合ってる。

 

私のエネルギーは人の多さと反比例するようで、人が多いとエネルギーが減って無口、無行動になり、人が少ないとおしゃべり、多動になるという結果がここのところの自分観察で決定付けられている。だから登山なんて人いないからエネルギーがどんどん湧いて歩ける歩ける。独り言多いのなんのって。

 

逆に平日の帰宅間際はもうエネルギー枯渇して精神ヨレヨレ。おまえら(人間)の顔はもう見たくないつーて、同じ人間のツラ下げて思う始末なもんだ。

 

今日は鳥見で裏山ブラブラしていたら、グワコグワコと大きな声で何か鳴いている。ちょっとした湿地があってその中で何ヶ所にも大きめの水紋が出来ていて、なにかが出ている。それで双眼鏡で覗いてみると、水面から半分くらい顔を出した巨大なカエルがこちらをジッと見ているではないか。思わず、ヒッ!デケェ!!と汚い感嘆の声を出してしまった。いや、沼から顔を出してマジでこっちを見てやがるぜ。🐸を覗く時🐸もまたこちらを覗いているのだ。私が見ているのに気がついて鳴くのをやめてじっとりとした目つきでこっちを見ている。でかいし、じっとりとした目つきが気に入って捕まえて帰りたくなり湿地に入ろうとしたら一目散に泳いで逃げてしまった。

 

なるほど。何がなるほどだが、1年に数回くらい長靴を履いて大きめのバケツを持ったおじさんを見るが、あの人はまず間違いなくここのじと目の巨大なカエルが目当てであろう。わかる。あれは欲しくなる可愛さ?だ。

 

その後は梅の木のメジロエナガを見て癒されていたら、教授というあだ名をつけているいつもの人に出会って名前を聞かれた。もう何回も会ってるのに名前を名乗らないのもな、と思ってた名乗ったら、向こうも名乗ってくれた。会社の人にはGOさんと呼ばれてるるからGOさんて呼んでいいよ、と言われた。教授、まだ会社勤めしている年齢なんだ。失礼だがもうとっくに定年した人ぽい雰囲気だった。

 

梅にメジロ来てたんですよと言ったら、見れたの?と言って木の方を見やる。私が鳥好きであるのはもう知っているので見れて良かったねというように微笑んでいる。マジでな〜我の会社もこうい穏やかな頭良さそうな人ばかりだといいのにな〜。そしたら飲み会だってもしかしたらもう少し参加を悩むくらいには魅力が持てるかもしれない。

 

 

人見知りゆえ出来ぬ事

人見知りを超えて子供の頃は少々対人恐怖症の毛があった身として、え?え?え?できない!一生できない!できないけど羨ましい行動が色々ある。

1.カウンター席とかで1人でお酒をたしなむ。まずこれが人見知りにとって何故ハードルが高いかというと、店主と会話しなければならないのではないか、なんか気のきいた事を話さないといけないのではないかという心労で多分酒をたしなむどころか、摂取するカロリー以上のエネルギーを冷や汗として消費するため、もはやジムにトレーニングに行くようなもの。それならジムに行く。それで根本的なことだが私はお酒が飲めない。

2.民宿とかペンションとか個人でやっているところ。これもビジネスホテルよりは人との会話、触れ合いをを強いられているような強迫観念に囚われゆっくり旅行を楽しめるなんてもんじゃない。もはやプリズン。私にとっては網走。

3.手作り作家さんのお店、個展。もう死にに行くようなもの。見たいものがあっても両手広げて待ってましたと言わんばかりに話しかけらやしないかと思うと、ジョーズに狙われたお気持ち。怖くて海に足を付けれない。

4.値切る。おっちゃんこれまけてとか、おばちゃんこれもう1枚つけてとか、私にとっては唱える事のできない魔法の呪文だ。これを唱えると少なからず相手と関わる時間が増えるが、お金を払う額を少なくできるし得物は大きくなる可能性がある。しかし私は相手と関わる時間が増えるという呪文の副作用に耐えられないので、その呪文を唱える事ができない。

5.色んな事を自分から誘う。映画、ショッピング、旅行などなど、友達どころか姉妹でさえ私は自分から誘う事はない。私のようなものに付き合わせては申し訳ない。時間無駄になっちゃうよ?というお気持ちがみっちりシミコーンチョコ味のチョコくらい心に染み込んでいる。チョコ味美味しいけど、きな粉味が前はあったのになくなっちゃったんだよあ、残念。

 

他にも色々人見知りゆえ制限されている楽しみがあるのは間違いない。いや、それを楽しめないから人見知りたる者として存在しているので、楽しみは制限されている訳では無い。が、経験は圧倒的に制限されている。そういう事で人見知りでも経験を増やせる事に夢中になりやすいのかもしれない。登山しかりバードウオッチングしかり。

 

そういえば今日はウグイスの初鳴きを聞いた。冬はジエッジェッと渋い鳴き声していたのに、今日はホーケキョ!と短いながら鳴いていた。じょうずに鳴きまちたね〜♡と気持ち悪い声でめちゃくちゃ話しかけておいたけど、鳥には話しかけられる。庭の雀にもずっと話しかけていたら最近は逃げなくなってきた。鳥に話しかけるエネルギーをもっと人との関わりに向けられないのかねえ。と自分で自分をたしなめてもいたしかたなし、でありますわ。

あたりまえだということが

今日は仕事で移動が多く、久しぶりにあっちの工場建屋、こっちの工場建屋と移動していた。あまり歩いたのでいつも会社で4000歩いくかどうかのところ1万歩歩いていたようだ。懐かしい。パートでここに入った時はいつも工場間を走り回っていたので、定期でものを運んで来る運送会社のおっちゃんにいつも色んな工場に出没する人、という事で顔を覚えられてしまい、話しかけられる事も多かったのだ。

 

正社員になってからは行く工場も減り、去年からはクソ&クソのつまらない仕事になったのでほとんど事務所から移動しなくなった。久しぶりに遠くの工場まで歩いてフンフン気分良く歩いていたら、工場から黒い作業着のおっちゃんが出てきた。黒い作業着だ。良きかな。私は少し制服フェチなところがある上に黒い制服、作業服が大好きである。綾野剛に黒いスーツを目の前で着られた日にゃあ、綾野剛を監禁してしまうのではないか、犯罪を犯さないではいられないのではないかと恐れている。そう考えると今目の前で黒い作業着を来ているのが、ただの運送会社のおっちゃんで良かった。

 

などと考えていたらそのおっちゃんが急に話しかけてきた。違ってたらすまないけど、あなた〇〇団地の人じゃない?僕はその隣の団地でね、よく外で見かける人に似てるな、って思って。よくあなた山に行ってるでしょ?と言われた。行ってますとも。ええ。ヨレヨレのジャージと元を取りすぎたワークマンの上着でね。あの姿を見られていたのかー!!っていうかご近所さんかー!!っと一気に恥ずかしくなる。

 

そうです。よく山運動の為に行ってます。というと、僕もたまに行くからね、また会うかもね。とニッコリおっしゃるので、ヨレヨレの姿をお見せして恥ずかしいですけど、また会ったらよろしくです、と言って去っておいた。

 

やっぱりそうとは思っていたけど、団地をヨレヨレの服、デカイ双眼鏡、木の棒持参、そしでデカイ女、というのはある程度目立つのかもしれない。それこそ田舎のスッカスカの人口密度ではな。私なんて他人の顔が覚えられないので、同じ人が少し違う服着ただけでもう同一人物と認識できないのに、今日会社の制服を着ていた私を団地の山登り人物と特定出来るとは、大した観察眼の人なのか、私の異質ぽさが目立つのかどちらであろう。前者であって欲しい。

 

私は私が行動する時他人の目を一切気にせず楽しんでいる。そんなにのびのび出来るのは、人なんて他人の事なんてどうでもいいから見てない、と思っているのだ。自分がそうなので。でも意外と見られているのか。これが壁に耳あり障子に目あり、という事か。下手な事は出来ぬな。でも探検が好きで団地周辺の川や田んぼや山をウロウロしまくっているから壁や障子でもなくても、そら私でもそんな子供みたいに行動する落ち着きないやつはすぐ覚えるな、と納得。

 

でも逆に私は不思議だ。みんななんでそんなに自然や生き物や石や木や景色や音や色に興味がないのであろう。自然がいっぱいのところ探検すると楽しいのになあ。これはあれだ、金子みすゞの詩のお気持ちと一緒であるな。あたりまえだということが、のな。

あんた怖くないかね

この前4ヶ月ぶりくらいに登山をした。冬の時期は雪のない里山くらいしか登れないので、でも3時間くらいは山をウロウロしたいなという事で比較的近くの里山をダラダラ縦走したのだ。山城の跡があったり、古い見事なお寺もあったり、小さな滝や、氷柱が美しく垂れた岩など見応え充分な上に鳥にも沢山出会えて満足した。

 

山城では井戸の跡もあり、看板に伝説が書いてある。城が攻め落とされる時に城の主が金の鶏をエイヤ!と井戸に隠し、その鶏が今でも正月になると井戸から出てきコケコッコーと主人を待って鳴くというではないか。切ない。今でも主人を待ってるなんて忠犬ハチ公ならぬ忠鳥ニワ公ではないか。んでもなんだな、この手の伝説別の山城に行った時にも看板に書いてあったような気がする。そうするとあれかな?金の鶏も派遣的お仕事なのであろうか。あちこちの山城に派遣される金の鳥。お仕事ご苦労さまです。

 

3ヶ月も登山していなかったので、登山しようがしまいが何も変わらないなと思っていたのに山に入って何時間も歩いていると、何かすごく普段と違う感覚に襲われる。うまく言葉に出来ないが、山に引き込まれる、って怖い言葉があるけどそれに近い。何かにスイッチが入る感覚があってそれがとても心地よい。何かに繋がってそこからエネルギーをもらってるような感覚。

 

それでやっぱり里山でもいいから私には自然と触れ合う時間が必要なのだな、って事で毎週どっか山に行こう、とあらためて思ったのだ。

 

それで先週は時間も無かったので家の裏山を登り、前から気にはなっていたけど一度も通った事の無い道の方に行ってみたら、延々と歩いた後、おじさんが木を切っている旅館跡みたいな所に出てしまった。おじさんはめちゃくちゃ奇異なものでも見るように私を見るので、怪しいものでは無いとアピールするために、こんにちわ、と挨拶した。まあ、めちゃくちゃ怪しいヤツに見えるよね。なんてたってどう見ても正規の登山ルートがある訳でも無し、獣道に毛が生えた程度の道をデカイ女が1人で木の棒を手に出てきたら山の妖怪と間違われても仕方がない。

 

あんた、どこから来た?と聞かれたので、あっちの団地の方からです。と応える。へえ、この山はずっと続いているのか?あんた1人で来たの?山に動物でない?と聞かれたので、キター!!動物の事聞いてくれた!と思って嬉々として、ええ!います!この山イノシシ、キツネ、シカ、タヌキ、何でもいて、会った事あります!と言ったら、あんた怖くないかね?女の人1人で歩いているんでしょ?と言うので、はい。いつも1人ですけど山が大好きなので、と言ったら、そうかあ、凄いなあ、と最後まで珍しいものを見るような目で私を見ておった。

 

そんなに珍しいか?と思ったがどう考えても私も私以外の女人がブラブラそこら辺の山を木の棒を持って探検している所を見たことがない。男の人はまあまあいるのだけど。バケツ持ったり網持ったりノコギリ持ったりして山ウロウロして明らかに登山では無く探検している人が。しかしそこに女人の存在を確認した事がない。登山している女人はいっぱいいる。だけど探検している女人は見た事ない。

 

今日は物珍しいものを見る目をはっきりと自分に向けられて新鮮な気持ちだ。一期一会。あのおっちゃんの中に、山の麓で出会った変人として私は存在できる。しかしなあ、探検は子供の頃からめちゃくちゃ楽しくて今でも楽しいって言うのは大人になりきれてなくてもしかして恥ずかしい事なのか?あんまり他人に趣味として話すのはやめておこう。また新鮮な気持ちになってしまう。