気持ち悪い笑顔

気持ち悪いものを見てしまった。実家に行って黒猫ジジと遊んでいたのだが、その様子を姉が動画で撮っていて、それを後で観たら、自分でも引くほど笑顔満点で幸せそうなのである。私は動物と接する時大体ニパァ〜と自然と笑顔になっていると自覚するが、まあまあ気持ち悪い笑顔である。その理由を考えると、年齢に合わない、まるで幼子のように無邪気にキャッキャッしているので、身体的年齢と幼児っぽい笑顔との齟齬がすごく違和感を感じる。進撃の巨人の巨人の笑顔みたい。または、私がこの歳でセーラー服を着ているような見た人がいたたまれなくなる感のある笑顔。

 

この笑顔はいかん。しかし恐らく鳥見をしている時、好きな虫を見つけた時、散歩しているワンチャンを見た時も、この気持ち悪い笑顔を今まで晒してきていたということだ。過去に鳥見をしている私を見た姉妹が、マジで怪しい人に見える、と言っていたが冗談ではなく、あれは言葉通りマジの忠告だったのだ。

 

あと、純粋にこんな幸せそうな顔するなんて、何があったの?あ、そっか、動物好きだからか、うんうん。え?そんなに?!ってツッコミ自分で入れたい程は幸せそうな笑顔だ。自分で思っている以上に自分は動物が好きらしい。

 

この勢いで人間ももう少し好きになれたらなあ。会社にいると人間の嫌な所ばかり見るのでゲンナリなのである。友人たちはみんな信頼できる仲間だが、私含めそれぞれ人生重めの事案を抱えており、あーあ、フツーに生きてる人が羨ましい、と思うものだがフツーに生きてる人なんていないんだろうなあ、と思うこの頃。友人達との合言葉は、まあなるようにしかならんからな、という言葉だ。

 

なるようにしかならんのに、自分の思い描く未来に何とか持って行こうとするから辛くなる訳だ。自分をそうするのは比較的簡単だが、他人、または自分ふくめた環境をそうしようとすると莫大なエネルギーを費やしても、船の舵が1ミクロン動きました程度、もしくは目的の方向から余計外れました、的なものだったりするので疲れるのだ。そういう訳で、友人達との合言葉はなるようにしかならん、となった訳だ。まあ、何とかして欲しい張本人にそれを言われたら両頬ビンタしたいけどな。

 

諦観、私の好きな言葉である。うむ。だから今日見た自分の気持ち悪い笑顔も何とかしようと思わなくて言い訳だ。幸せそうで何より。それで良い訳だな。