我が人生来し方

今度こそ目的の山に登ろうと、早起き設定していたが、目覚ましをブチッと切り、温かいお布団との戦いに破れて2度寝してしまった。夏には大体お布団との戦いに勝てるのだが。雪山を登らない身としては、高い山に登れるのは雪の無い夏山限定の僅かな期間だけだし、天気の良い日しか登らないというかなり夏には得難い条件を自分に持っているので、晴れるとなったらお布団の温かい誘惑など、ビシッッと跳ね除けて起きれるのだが、低山相手となると、まあ、でもいつでも登れるしな、ってお布団の温かい腕に抱きつく勢いで2度寝し、自ら敗北を選び気味。

 

仕方ない。近くの低山のコースタイムを縮めて登るトレーニング的な登山に変えよう。槍ヶ岳。今年こそ登る槍ヶ岳。それを呪文にして登るのじゃ。馬鹿と煙は高い所が好きって言うし馬鹿にはピッタリの趣味だな。登山。

 

しかし登山とジョギングが趣味的な人間て、お金と時間に余裕がありそうな人間臭がするな。私はお金と時間の余裕がある人間の言葉は何を言っても軽く感じる僻み根性丸出し大根みたいな所があり過ぎちゃんなので、人に何か忠告とかアドバイスとか言わないようにしよう。いーうて、ジョギングできるくらい、登山できるくらい何事も余裕のある人間の言葉でしょ?けっ!ってなるもん。私なら。そこまで妄想する自分の自意識に過剰を感じずにいられないがな。

 

この前友人とご飯を食べに行った時、友人がお腹がいっぱいになってきて、手元のスパゲティを1本ずつ、のろりのろりとちゅる〜り、ちゅるり〜と食べている所を凝視し太宰治の斜陽のはじまり出しの一節を思い出した。お母様がスープを飲むところそこまで観察せんでもええやろがい、って思ったが読んでるこちらも目の前にお母様がいて、スープを口に運んでいる様がありありと思い浮かべられた表現だった。

 

そんな感じで友が1本ずつスパゲティを口に運ぶその仕草に、自分の今までの人生を思い浮かべる。果たして私は今までスパゲティを1本ずつ口に運ぶことなどあったであろうか。友は食の細い人間で頑張って食べないと痩せてしまう類の、私からみたら両頬をビンタしたくなるような人間である。そういう人間はあのようにスパゲティ1本1本に重みを感じ、はかなげに繊細に食べるのであろうが、私は生まれてこの方そんな繊細さを持ち合わせていない事を初めて自覚し雷に打たれたようになってしまった。

 

まあ、結局耐えられなくなり、友よもっともっとガッツリ食べんかい、私はそんなふうにスパゲティを1本ずつ食う人間では無いので、両頬をビンタしたくなる、つーか、さっきから食べてる所凝視してすいません、気が付いてた?と聞いたら笑ってくれたが。

 

私もスープをゴキュゴキュ飲んだり、スパゲティをガツガツ食べていつも喉に詰まらせてむせる人間で無ければ、かように繊細な雰囲気をまとえたであろうがなあ、と我が人生の来し方を思い浮かべちまったわい。