山ハラスメント

山登りをしていない友人に山登りを勧めたところ、退屈だから嫌だという。甥っ子に至っては勧めてもいないが、何をするにもスマホを片手に空いた時間を有効活用する、と言って動画などを見ている。そんな彼には何時間もひたすら歩を進めるだけの登山など、空いた時間をドブに捨てているようなものであろう。

 

私も裏山を散歩する程度の時間なら、仕事の事とか、今日これからの予定などをごちゃごちゃ考えていたりもして、考えをまとめる良い時間として有効活用していると思うが、何時間も山を登っている時は、本当に何も考えていないのだ。たしかにそれを意識してしまう人は退屈に感じてしまうかもな。外部から与えてもらう情報が単一で少ないし、かといって他の事を考える余裕ができない程度には、体力を消耗する。でも私にはある意味この無の時間がすごく居心地がいいのだ。

 

私は単独で山を登るのが大半なので、家族にはえらく心配されている。だから無鉄砲な私にしては登るのも下りるのも慎重に足運びを選んでいる。次はあそこに足を下ろそう、次はこっち。岩登りの時にはあそこに足を置き、こちらに手を付こう、とそういう事を考える、という感じでは無く淡々とこなして行く。野生動物的になってるのかもな。

 

昔見たアニメで、お金が沢山あるとお金が沢山ある生活しか出来なくなる、お金が無ければ無いなりに沢山の生き方が出来る、的な?大分違うか?でもそんなよーなセリフを聞いた事がある。いや、お金がある方が色んな事が出来るでしょ、と思ったが今なら分かる。情報金持ちの私達は、情報過多の生活しか出来なくなりつつあるのかもなー。

 

でもそうだからこそ、山登りはオススメだ。刺激が無いように思うのは情報過多の状態に慣れすぎて、自然から感じる微弱な刺激に鈍くなってるだけだ。言うなら普段生活している時は小さいアンテナでも情報がホイホイ飛んで来てくれるからそれに慣れて、小さいアンテナで山に入るようなものだ。山からの情報を受け取るには大きなアンテナを使用すんだべ。そうすれば色んな情報を受け取れる。そのアンテナを普段も使うようになれば、普段の生活から受けていた情報が全ての生活では無くなって、もっと色んな情報拾えるぜ。つまり悩み事とかも、どーでもよ!って感じになれる。多分。多分ね。効果には個人差があります。だけどね。

 

昨日は山でルリビタキ見れましたよ。低山から春になると高山に移動するので、久しぶりに出会えた。もう、それだけで幸せになれちゃう。雪の上をテテテテと移動して何かついばんでる。もう、それだけで悶える程可愛い。幸せ〜。

 

いや、やっぱり、こりゃ個人差ありありだな。山に向いてる人間と向いてない人間とがいるので、たやすく山ハラはできんな。