コゲラと話したい

コロナ対策で私のいるフロアに天井から抗ウィルスシートみたいな、シャワーカーテンみたいのがぶら下げられる事になった。マスの目のようにぶら下げたのでちょっとした閉鎖空間ではあるが、透明なので皆の姿は見れる。でも水の中にいるようなそんなボヤけた視界。おまけに音がこもって外部の声が聞きずらい。

 

でもなんかいい感じ。欲を言うと完全に個室みたいに仕切ってくれればいいのに、とか思う。本当に不謹慎だが、コロナになって人との接触や色んな関わりが少なくなって、実を言うと世の中こんなに楽だったのか、と感じる。学校なんて不便も不満も感じたことなどなかったが、卒業してからの自由に驚き、学校生活が息苦しかったんだな、と後で気が付くのと似ている。

 

別に以前の生活に不満やストレスを感じていた訳ではないが、その生活から離れた今、楽すぎて、ああ、やっぱり私人との関わりを極力避けたい人間だったんだな、としみじみ感じる。コロナは終息して欲しいけど、このそーしゃるでいすたんすぅ〜、は永遠に続くと良い。

 

最近山登りをしていて、鳥が多いな、から始まって、何の鳥だろう、となり双眼鏡を買って、スマホ片手に名前を探る、という行動から段々と写真を撮りたい欲が出てきた。バードウォチングにハマりそうだ。鳥はいい。人とは関わりたくないが、鳥とは積極的に関わりたい。この前2羽のコゲラに出会った時、確実にその2羽が会話しているのが分かった。木をつつきながら、1羽がじーじーじーじ⤴︎ ⤴︎⤴︎って話しかけて、もう1羽が、短く低く、ジージーと答え、その答えを聞いて話しかけた方の1羽がまた、じっじっじーと返したのだ。

 

感動した。実をいうと自分以外の動物が会話をしているのを見た事がなかった。いや、見た事はあるかもしれないが、会話と気がつく事がなかった。でもその時は2羽が仲良く会話しながら木をつついて虫を探している姿が、カフェでお茶しばいてる人間の会話と同じに見えたのだ。

 

あー鳥と話せたらおもろいだろなあ。鳥とは話したいのに人間とはあんまり話したくないのはなんでだろう?私は過去にそこまで人付き合いで酷い目にあったのかしら?と思い浮かべようとしても、ドラマやアニメのようなトラウマが見当たらないような気がする。

 

でも人より不器用でお勉強も出来なくて、先生にみんなの前で、なんで分からないの?的な事を言われた恥ずかしさはよく覚えている。恥ずかしくて恥ずかしくて、バカは隠せるものではないけど、私と話すと私がバカなのがすぐに気が付かれてしまう、そんなの恥ずかしい→それなら人と関わらなければバカにされる事もない!ってなったのかもな。

 

だから私と仲良くしてくれるのは、わたしがバカでも楽しんでくれたり気にしないでいてくれる人達だけだ。その点動物も一緒。きっと私をバカにはしまい。だからコゲラとお話してみたいですな。