求む!人格性。

コロナウイルス騒ぎで社内の飲み会とか減って嬉ピ、となっていたが、飲みたい人達がそろそろと飲み会を再開している。今日も仕事中にどこの飲み屋にするか隣の人と前の人と斜め前の人とその前の人が相談している。

 

少しイラッとする。何故ならその飲み会のメンバーに以前は私もしょっちゅう誘われていて、2回に1回は参加していたのだが、ある時を境に誘われなくなった。まあその中のメンバー1人と折り合いが悪くなったからだが。

 

飲み会に誘ってもらいたいのではなく、以前は誘っていたメンバーを抜きで飲み会を開催する場合、そのメンバーがいる前で堂々と飲み会の相談をするその無神経さにイラッと来るのだ。悪いが私がそのメンバーだった時は誘わないメンバーには一切気が付かれないように、静かに相談しましょう、というスタンスを取っていた。メールとかで。

 

それがコロナウイルス以前は折り合いの悪くなったメンバーの1人はこれみよがしに私の前でその飲み会の話しをしていて、イラッとしまくっていたが、コロナウイルスで落ち着いていたと思ったら、また再開したのだ。これみよがし飲み会話。どういう神経をしているのだろう。

 

こういう事って何も自分だけ感じるのだけではなくて、隣の課が、ある特定の人だけ誘わない飲み会の話を、そのメンバーがいる前で話していたりする時に、私は1人ヤキモキする。え?どういう神経?謎っっ。多分どうでも良くなった人は存在自体抹消されているのであろう。抹消された人には耳も感情もないと思っている。そうでなければ、なかなか同じフロア内であーいう会話はできまい。

 

私は想像力も共感性もない人間とは、お付き合いをお断り申し上げる。だから以前はメンバーの1人として参加していた飲み会に誘われなくなり、メンバー達とも仕事以外で話さなくなったのは、幸運とも呼べる。

 

しかし同じフロアで働く身、最低限の想像力と共感性を求めたいところである。