孤独は山にない

何とかっていう哲学者の言葉で、孤独は山に無く街にある、っていうのがあるみたいだが、ホンマにそうであるなあ。単独で色んな山を登ったが山城、鳥、緑、岩石、色々興味があるものが多く孤独を感じるヒマがない。1個体としてポツンといる事は孤独ではない。群れの中にポツンといる事が孤独なのだ。

 

誰でもそれを感じた事はあるだろう。私はそれを感じやすい方だが。群れの中での会話に合わせるのは苦痛だ。私の中ではどうでも良い事に大仰に驚いたり、興味があるフリをする演技が必要だ。逆に私の興味ある事は大抵その他の人にとってどうでも良い事なのである。こっちもどうでもいい話に付き合ってあげているのだ、たまにはこっちのどうでもいい話を聞いてくれ、と思うがそこまでして人に私のどうでもいい話を聞いてもらいたい訳でもないような気もする。

 

結果、何をするにも1人行動が多いし、その方が気が楽だ。ぶっちゃけたまに友達と遊ぶ約束をすると、めんどいな、って気持ちが楽しみな気持ちを若干上回る。1人で好きにやりたい欲がごいしゅー。コロナで会えなくなって久しいが、それをよく理解してくれているグループは旅先で私がふらっと1人行動していても、半野良の猫を連れてきたくらいの感覚で放置していてくれるから有難い。これが集団行動は守りましょ、時間も予定もガッチガチの旅行だと、私はもうついていけない。はい、さようなら。

 

でも私は話し相手がいる環境にいつでもいるから甘えて、1人が好き〜なんて言っていられるのだ。物理的にも精神的にも全くの孤独を味わった事がない故の甘え。恵まれているからこその甘え。

 

いつもの裏山散歩コースにいる沼には、大体アオサギ先輩がいるのだが、おーい、アオサギせんぱーい!っと話しかけて(当のアオサギパイセンは、話しかけると速攻飛び立ってしまう恥ずかしがり屋?かツンデレさん)幸せな気分になれるヤツには精神的な全くの孤独を味わう事はできない。だから余計に山より街の方が孤独を感じるぜよ。生き物が圧倒的に人間が多い環境では、種が同じ分、分かり合えない事の溝の深さや、分かり合えない事の数の多さにただただ、部屋に閉じこもりたくなりそうだから。

 

同じ種であるからこそ、ちょっとの食い違いでも精神的なダメージは、アオサギ先輩から何こいつ怖いって目で見られることより大きいのだ。