カラスのねぐら

仕事から帰ってきてからの裏山散歩も日の沈むのがバカに早くなって来て、もう限度が来そうだ。そうなると田んぼを走る田舎道へのウォーキングに切り替える時期なのだが、如何せん同じくウォーキングしている人によく会う。抜かすまいか抜かさぬまいかのそーいうのがめんどくさい。

 

それでギリギリまで裏山散歩をしていたが、この前とうとう真っ暗になり、おまけに下りてくる時に暗闇でもハッキリ分かる、ニョロ吉(ヘビ)を認識したのだが、暗くてマムシかどうかも判別つかなかった。いや、流石にもう夕方からの裏山散歩はやめよう。

 

夕方、小山の頂上に付くと、1kmぐらいはなれた山に建つ鉄塔をねぐらにしているカラス達が見える。彼らは目がいいので、私がブンブン棒を振ると、1kmも離れているのに、鉄塔からあーあー鳴いてビックリして飛び回るのだ。その姿が面白くて登る度にびっくりさせていたが、この前は夕暮れの空を遠くから羽ばたいてくるカラスが見えて、その鉄塔に向かって飛んで行き、やれやれという感じで鉄塔に辿りついた姿を見ていたら、急に罪悪感が湧いてきた。

 

いや、わしもやっと仕事から解放されて家についたら、家の前でおばさんが毎日棒をブンブン振り回して邪魔してきたら、あーあー泣くわ。反省してそれからは脅かすのをやめた。

 

カラスはあーやってみんなのいるねぐらにたどつき、眠りにつく時にはやっぱりホッとするのかな。隣同士で寝るのは血縁関係か、友達関係か、その場限りたまたま横になった関係か、よく分からないけど、人は群れなくなったよなー。個々で生きれるほど社会システムを構築してきたおかげだ。人は1人では生きられないが、その社会のシステムの中でも人を感じずに生きる事はできるようになった。隣の息づかいを感じで眠るカラスを見ていると、自分達人間が物凄く進化したような気もするし、何故か憐れな生き物にも思えたりする。

 

家で飼っている小鳥は夜寝る前におやすみ、と声をかけると、甘えた声で小さくピィピィ、と応えてくれる。さみしいという気持ちがハッキリと伝わってくる。だから朝起きた時は今生の別れと思っていたのに、我生きとったんかーー!!ってくらい喜んで、ピヒョッーー!!って声高に挨拶してくれる、そののなんというか真っ直ぐな愛情に毎日打ちのめされる。人間はなんつーか、こういうひたむきさを成長するに従いどっかで失っちゃうよね。そうするとやっぱり我ら人類は随分憐れな生き物に思えたりするのだ。