仙人イトウ

裏山散歩をしていたら、夏の間全く姿を見る事が出来なかった裏山整備趣味仙人おじいちゃんに、久しぶりに出会った。良かった。お年がお年そうなので、いつパッタリ来なくなってもおかしくない雰囲気、元気そうにいつものように鼻垂らして整備をしておられるので、安心した。

 

山で見かけるようになって4年は経つかと思うが、お互いに名前さえ知らないところが、双方が人見知りであると、何も生まれないことを物語っている。しかし本日仙人の被っていた帽子にカタカナでイトウ、と書いてあった。あの帽子が山で拾った他人の帽子であるとか、何か特筆するべき出来事の結果手に入れたものでない限り、仙人はイトウさんなのであろう。イトウさん、いつもありがとう。楽しく山散歩させてもらってますわ。と伝わらないお礼を心の中で唱えておいた。

 

この前はこの裏山で鹿を見た。こんな小さな大きい山から離れた小山に鹿が出るとは、鹿もとうとう増えすぎてこんな小山まで進出してこなければならないほど、増えすぎているのであろうか。鹿はしかるべき山奥にいて欲しいものである。鹿だけに。

 

本日は台風一過の為、夕暮れが腰を抜かすほど美しかった。裏山から下りてきて、暗い樹林帯から抜け出て空を見上げると、透明なピンク色と、透明な水色が白い淡い雲の間から顔を出して、手前の樹木が黒いコントラストになっていて、おとぎ話の1シーンのようだ。

 

思わず、ほえ〜、美しかぁ!と叫んでしまった。その後も歩きながら、美し、美し、と呟きながら歩いた。こんなところで、独り言をつぶやくくらいなら、仙人イトウともう少し話せば良いのに。なんせ仙人イトウも流石に私の顔を覚えてくれたようだし。以前は同一人物と認知してもらえず、同じ話を何回も聞かせられたものだが本日は、雨になると水に浸かってしまう部分の山道に別に道を作ろうかと思ってるんじゃ、という新しい会話内容であった。

 

つーか、私はこういう人が好きなんだろうな。なめとこ山の熊の猟師みたいな、ただただ、誰にも認知されずとも黙々と自然を愛する働きものの朴訥な人が。

 

私は性格がものすごくねじ曲がっているので、賃金以上の働きはしません、的な考え方はあまり好かぬのである。けっ。賃金に見合った働きしてない奴ほどそういう事言いやがるから始末が悪い。いいから君は黙って働きなさい、と言いたい仕事しない人が多すぎ。

 

会社にいると損得勘定ばかりで動く人が多いから、山で黙々と一切の賃金が発生しない上に、登る人の超絶少ないこの裏山を黙々と整備している仙人イトウを見ると、ホンマに心底人間て愛おしい生き物だ、って思えるんだよな。それ以外の日はいつも、HAHAHA!!見ろ!人がゴミのようだ!ってムスカ的、人はゴミ扱いで生きてるがな。