御嶽山にて

6月は高い山に登ろうと思っていたのに、結局登れずじまいだった。7月もなんやかんや梅雨みたいな空に戻りそうだし、結構用事があったりで目的の山に登れそうにない。思い立って予定外だが御嶽山に土曜日天気もいいし登りに行った。

 

御嶽山は初めてだ。久しぶりの登山なので、途中までロープウェイの最短距離で行くことにした。コースタイムが5時間ちょっとなのでまあ、余裕だろうと登り初めた。

 

が、意外に暑い。あと、前の日に通行可能になって本格的な夏山シーズンになった為か、登山道を整備するボランティア?みたいな人がいっぱいいる。登り初めが自分のペースで登れず、ボランティアの群れから離れようと思ってペース配分を間違えた。いつもなら辛くないちょっとした勾配も息がぜえぜえ言うではないか。

 

よく考えたら朝ごはんもテキトーに軽く済ませたのも悪かった。完璧にエネルギー不足。これは諦めて下山した方が良いかもしれぬ、と座って梅干しを食べながら休み休み登っていたら、やっと楽になってきた。塩分ってすごいよな。梅干し食べる前と後では足の運びが全然違う。

 

それで、少し登っては石に腰掛けボーっと通り過ぎる他の登山者を眺め、また進んでは登山者を眺めと進んで行ったら、だいぶ時間はかかったが頂上に着けた。登山のいいところはこういうところだ。1歩進めば確実に1歩頂上に近付く。人生のその他の物事は登山のようには目的や目標に近付く事はできない。というか目的すらなかったりする。ないのでどこをどう進んでいるのか分からぬ。

 

頂上付近には一の池、二の池、とちょっとした湖があるのだが、白い砂が被さったような湖になっている。何年か前の噴火時の火山灰の影響らしい。往年の姿は美しい水をたたえた姿だったらしいが、いまはその面影はない。立ち入り規制のままの噴火口の方を見て、あそこで沢山の人が亡くなったのだな、と心の中で手を合わせる。ヱヴァンゲリヲンのエイティフィールドってあるじゃないですか。自然はあれだな。全ては放っておくとそちらに戻ろう戻ろうとする力が働いてる。人も然り。じゃあそれを止めているのは何か。それはあちらとの壁を作って自己とする事。

 

山に登るとその壁がいかに薄いか思い知らされる。隣の住人のため息が聞こえるやっすい賃貸なんてもんじゃない壁の薄さ。もっともっと薄い。それこそほんとうに細胞膜隔てて向こう側は、いつでも還っていらっしゃいと大手を広げて待っていらっしゃる。そりゃそうか。元々あちら側から来たのだから、いつかは還らなきゃならないよね。でも、待ってくれ。私はまだこの自己認識出来る世界でもう少しあと80年は生きたいな。ギネス長寿記録を破るんだい。と誰にともなく生を乞うて御嶽山から下山したわ。