流し見のドラマ

同僚のビッグさんが、他部署の深海さんの仕事が遅い、返事を全然くれないから自分の仕事に支障が出ている、とプンプン怒って係長にどうにかしてくれと頼んでいる。

 

私は他人に関しイライラしてもその人をどうにかしようと全く思わない。冷酷かもしれないが他人に全く期待しないのだ。だから同僚がキレまくっているようなおクソな取引先とかに自分が関わっても、微塵も腹が立たない。こっちの思う通りに動かないからって腹を立てて変えようとしても変わらない(と思っているし)、その労力がもったいない。

 

何かを変えようと思うのには労力がいるし、私はその労力を使ってもいいと思えるものは入念に選ばせてもらう。つまりこの人は変われる人だな、って思った人だけ。で、変われる人はこちらがどーのこーのする前に常に変わろうと努力してるから、こちらは何もする事がない。

 

もしくは人が変われるのは、すごい愛情を根気にかけた時だけどと思っているので、仕事関係の他人にそこまで元々少ない自分の愛情キャパから愛情を分けてあげる気は毛頭ない。

 

だから他人にイライラしそうになる時、いつも自分に問いかける。イライラするのはその人の現状のあり方にイライラしている、つまりは反転するとその人にこうすればいいのにと期待しているから。でもその期待を持つ相手として、私のイライラを捧ぐ人間にこの人は足る存在か?と。

 

すると大体1000%の確率でもう1人の自分が答える。否!私はこやつの母でも父でも生き別れの双子の兄弟でもない!私の愛情、感情を分ける相手ではない!じゃ、イライラしてもしょうがない!ってなってイライラは吹き飛び、あとは荒涼とした砂漠のような心で相手を見限るのみなのだ。

 

あと単純に人に関わるのがめんどいのだ。みんなが一生懸命やっているのに、あの人はサボっていた!ってプンプンしている人がいたが、私はそういう怒りが全く理解できない。みんながやっている時に平気でサボれる人間はちょいとやばいか、だいぶやばいか、宗教上の理由で他人と同じ行動してはいけない制限がかかった人間かもよ?(そんな宗教あるか知らんけど)。

 

そんな人間に自分の感情を分けたくないし、そんな人間になりたくもない。私はそういう人をみたら、あー、良かった私はあーいう人間にならなくて良かった。つーかあれにイライラするって事は君も本当はサボりたいんじゃない?じゃあ一緒にサボればいいじゃん。サボってみた世界が自分に合うか合わないかでその後の君の世界の捉え方が変わるぜ、ってその人に言いたいが、めんどいので言わない。

 

私にとってサボる奴もそれにイライラする人間も対して変わりはしない。そういう場合一目おく人間がいたとしたら、サボっている人の所に言って、優しく丁寧に、できない事が多くて、あなたの力を借りたい、って愛情持って接しれる人がいた時だ。まあ、愛情無くてもそれができるある意味怖い奴もおるがの。どちらにしても、私は人と関わるのは最小限にしたいので、サボる人も怒れる人もそれをとりまくごちゃごちゃも、スマホゲームしながらチラ見する惰性で流しているドラマぐらいの感覚で見ている。