ひねくれがすごい

妹に先日、いや、分かっていたけども、やっぱりおねーちゃんひねくれがすごい。と言われた。詳細はこうだ。会社のパートさんが、コロナウイルス対策で、ある日首からじえんさんそんなんとか、という謎のお札…ではなく謎の物体をぶら下げて来たのだ。何やら空気中のコロナウイルスを除去出来るとな。

 

私は面食らった。目眩がした。真偽の程を問いただし、今すぐ首からそれを外すべきであると訴えたかったが、夕焼けも真っ青の真っ赤な他人の行動をそこまで制限させる権利もないだろう、実際他人に迷惑をかけている訳でもないし、という事で、へ〜、すごいね〜ってニッコリ微笑むだけで何とかその場の空気を壊さずに済んだ。

 

派遣さんの行動はめちゃくちゃ私を混乱させた。え?まじ?まじなの?いや、まじだわ。ってな感じで。その謎のジエンさんが効くか効かぬかは私にとってはどうでもよい。いや、良くない。これだけ世間がコロナウイルスのワクチンがまだ出来るまでに有効な手段が手洗いうがいのひきこもりしかない、と言われている時期に、そんな空気中のコロちゃんを退治できるとなったら、そりゃまたノーベル生理学・医学賞・ついでに平和賞もいっちゃえ!ってなもんじゃなかろーか。効果の程が甚だ怪しい。

 

そしてそんな怪しいものに、すぐに飛びつくその、よく言えば純粋、悪く言えば情報に左右されやすい、つまりだまされやすいですわ、私って首からお知らせカードをぶら下げているようなものだ。

 

そして私は何故か悶絶するほど恥ずかしくなった、と妹に告げる。あれは明らかに自分だけの効果しかない。自分だけは助かりたい、という欲をそのまま隠すことなく首からぶら下げている。派遣さんが性格がねじ曲がっている人ならともかく派遣さんはめちゃくちゃいい人で純粋な人だが、あれを首からぶら下げる事が、1人だけ助かっちゃいますテヘペロって意味になっちまうぞ、おい、恥ずかしい。人は自分だけが助かりたいと誰しもが思っているものだが、せめてそれは思春期に書きつずったポエムくらい、隠して生きていった方がいい事柄なのだ。それをあんなに明るく無邪気に首からぶら下げている。恥ずかしい。ポエムを首からぶら下げているんだぞ。等々この件について話した後の妹の感想が冒頭になるわけだ。

 

いや、本当にお守りとして持っているなら、ホンマのお守りにしてくれ。お守りはどこかに忍ばせておくだろふ。首からぶら下げてはいけない。ダメ、絶対。いや、もしも首からお守りをぶら下げていたら、それはまだ何か許せる。効くか効かぬかとかの真偽を確かめる必要がない。効かなくてもお守りはお守りなのだ。何だかあると安心、それでいいのだ。だから首からジエンなんとかをぶら下げるよりお守りをぶらさげていた方が全くもって周囲の精神衛生上も酷く健全だとおもいそめしか。