可愛さの優劣

いつも裏山ばかりに鳥見に行くのも、と思い初めて河原の方へ鳥見に行った。堤防から河原に下りるとウグイスやアオジツグミシジュウカラの鳴き声が聞こえる。冬には薮から出てくる気配も無かったウグイスが、今日は枝先に向かってぴょんぴょん移動し、ほ〜けきょ!と鳴いている。双眼鏡でそれを見ていると通りかかったお婆さんに話しかけられた。

 

鳥を見ているの?ウグイスさっき鳴いていたけど見れた?と尋ねてきた。はい、見れました。と言うと、そう、それにしてもいい趣味やね。と褒めてくれる。そうでしょ、そうでしょ。我ながら鳥見くらい金もかからず与えられる癒し効果が絶大のものもあるまい。費用対効果があり過ぎる。いや、費用対効果って仕事で聞きすぎている言葉でイラつくな。

 

しかし見るのみではなく可愛い鳥の写真を撮りたい!となったら一気に費用が跳ね上がるであろうな。写真にはハマらないぞ!っ思っているが、「初心者の一眼レフ講座」みたいな本を中古で買って読み始めてる自分が怖い。いつかシータを助けに行くパズーのいでたちに辿りついてしまわないか恐れている。バズーカー砲のようなレンズを欲しくなりだしたら金銭的に詰みなのだ。

 

会社ではいつものようにお昼休みに突撃ちゃんが大きな声で色々な話をしている。内容はフロア全体に筒抜けである。占いの話やお化粧の話や好みの異性の話をしている。それから女の子は二重が良い、といういうような話もしている。それについてはめちゃくちゃ異論ありありである。常々一重の人が二重にする事を勿体ない、と思っていた。一重の美しさは量産型二重に勝る。一重も二重も美しい。でも行き過ぎた二重信仰に気持ち悪さを感じないのであろうか。というか疑問さえ持たぬのであろうか。というかそもそもそんなに可愛いというものになりたいものなのであろうか。分からぬ。とんと分からぬよ、おばちゃんは。

 

所詮人間ごときの可愛さなど、鳥や猫や犬の可愛さには負けると思ってる人間には目の上の線があるかないかの些末な差に可愛さの優劣が分かるわけないのかもな。