緑の侵略者

散歩をしていると空き家や空き地があったりする。野原だと思っていた所もよく見ると家が建っていた形跡があったりする。空き家空き地廃虚、すべて緑に飲まれつつあったり飲まれていたりする。

 

何というか、そういうのを見ると、人間が滅びた後の遥か未来に自分だけタイムスリップしたような生き残ってしまったような気になって寂寥感が半端ない。

 

あと星新一の繁栄の花っていう話を思い出したり、漫画版ナウシカの粘菌を思い出したりする。緑自体がどこからともなく飛来し増殖し家を飲み込む意志を持った大きな生き物に思えたりする。夏になると彼奴らは活発になり、頻繁に攻撃を仕掛けて来るので、こちらも鎌と軍手で応戦するのだが、自分の家の庭を守るのだけで精一杯だ。怖い。緑、怖い。

 

しかし山鳥にとっては私の方が怖いらしい。緑怖や、怖や、と妄想している私の前を通り過ぎようとして、私の存在に気が付き、雄叫びをあげて踵を返して草むらに逃げていく。よく見ると少し大きくなった雛達が列を成して逃げていく。か、かわいい。まだ雛のモフモフ感があって思わず追いかけるが、逃げ足が早くあっという間に山の方へ消えていった。

 

そういえば無事会社の女性だけやらされていた机拭きとかの当番が、男性社員も含めて回す事になった。予想を超えて管理職も当番に混じる事になった。あー、良かった良かった。これで気持ち悪い思いをしなくて済む。

 

しかしそんな気持ちも緑に飲み込まれる家とかを見ているとどうでも良くなってくる。私達がこの地球に存在していられるのはあとどのくらいであろうか。いつか緑に飲まれ、それとも緑ももっと大きな何かに飲まれ、やがてその一部になって行くのかな。

 

そうやって考えると性差や人種や老若男女富めるものも貧しきものも外見の差も何もかも全部飲まれて一部になるのだから、その差にこだわる事が滑稽に思える。けれど生きるという事は、究極自分という差を意識し続ける事でもあると思うから、それをやめたらあっという間に緑に飲み込まれる家みたいになっちまうものなのかもなあ…