愛の強さで負けてる

妹が韓国のセブンティーンというグループにハマって、かれこれ1年近くなるだろうか。最初の辺りは毎晩動画がLINEで送られてきていたが、私がさほど興味を示さないので、パッタリそれも止んでいた。

 

ところが、GWにセブチのファンミーティングとらやに当選し、それに行ってきたやいなや、あなや!恐ろしや、妹の、一緒にツアー行くんだからね、まずはファンクラブ入ってね、チケット当たる確率上げるぞい、的な押せ押せから始まり、最近はLINEでまた動画が送られてくるようになった。

 

まずは妹の推しのウォヌとやらがいる、えーと、パフォーマンス?チームかダンスチームか、なんちゃらチームのメンバー4人から覚えよ、的な司令がくだされた。でも分からない。

 

何度も何度も見させられた事から、最近やっとウォヌとやらの判別率があがり5割を超える程度まで当てれるようになったばかりなのだ。

 

その他メンバーでわかるのは私がカッコイイなと思っているディエイト(しかし判別率それでも6割)と、ダントツ背が低い子(彼だけは判別率100%だが名前は何度聞いても忘れる)、の3人しか判別できない。

 

写真集を見させられ、でぃすぃずあ🍊、ざっつぃずぁ🍎、と英語の授業を受けているように、モノの名前を覚える授業。学校卒業以来のお勉強タイムが、急遽、日本の敬虔なる信者からお布施を頂こうと宴(ファンミ)を開いた、教祖(セブチ)のせいで、やってきた。

 

まあ、でも妹が楽しそうだし、たしかにダンスとか歌も上手いのでチケットが当たったらヒマ潰しに行ってやってもよい、とセブチのファンが聞いたら海に沈められそうな、上から目線で思う。

 

しかし妹が13人の名前も顔も、歌っている声も判別出来る事に驚いた。私なぞつい最近やっとメジロエナガの鳴き声を判別出来るようになったばかりなのだ。それというのも彼らもセブチのようによく一緒に固まってピーチクパーチク鳴くのでどちらがどちらか分からなかったのだ。

 

私が鳴き声で判別できる鳥の種類は5種類程しかいない。断然妹に負けている。妹のセブチ愛>私の鳥愛、という式になるわけだ。たしかに負けている。私は妹曰く写真集が買った覚えもないのに家にドシドシ届く程、息を吸うように自然に推しに課金出来ていない。

 

登山グッズ、鳥を撮る為のカメラ、欲しい物はいっぱいあるが、永遠に買えずじまいでここまで来ている。推しに課金出来ていないでわないか!

 

妹を見習い、欲しいと思った記憶もないのにクレジットカードから大金がおりて、手元に推しグッズが届くようになってからが、本番なのだな。なんの本番かわからんが。いや、わしもまだまだよの。精進していくしかあるまい。

 

 

ヒナよ安らかに

裏山の散歩に出かけたから、珍しく人に会った。ヨレヨレのリュックにタオル代わりか手ぬぐいをしばりつけ、登山ポールの代わりに木の棒を2つを握りしめて景色を眺めていらっしゃる、自然の中で本当に自然体のおじいさん。もうちょっと高い山登ると右も左も虹のマークの登山服はじめ、有名どころの登山具で登っている人が多いものだから、久しぶりになんつーか、家にあるもので間に合わせてます、的なおじいさんを見て親近感が湧いてしまった。つーのも、わたしも家にあるもので間に合わせてます、人種なので。雨具以外は。(その雨具も登山歴2年でやっと今年に入って1番安いメーカーのを買っただけだが)

 

こんにちわ、と挨拶すると大きな声で色んな山の事を話し始める。以前会ったおじいさんは、昔登った高山の話をしてくれたが、このおじいさんはもっぱら低山、里山専門のようだ。知らない里山の山道を見るとワクワクして登りたくなる性分のようだ。

 

いや、すっごいわかるんだけど。日本百名山みたいな山もいいけど、小さな里山って地元の人や、おじいさん曰く、ヒマな人が道を勝手に作るから色んな道があって、それを探して登る楽しさっていうのは、本当に冒険してるみたいなのだ。この道はどこに続いてるのかな、って。と言ってもある程度大きめの山でそれをやると遭難しちまうが。里山程度なら迷っても、トトロを追いかけるメイちゃんみたく、ズボッと薮から飛び出て山を抜け出る事も出来るからな。でもマムシとダニとヒルオオスズメバチ注意だけどな。

 

今日仕事から帰ってきたら、ツバメのヒナが5羽ともカラスに食べられていた。多分食べられホヤホヤなのだろうか、親ツバメとその仲間達がカラスを追い回していたから、私がもう少し早く帰って来てたらカラスを追い払えたかもしれない。近くに1羽でも助かって落ちていないか探したけど、きれいさっぱり食べられていた。しかしこれが自然の厳しさか。昨日ヒナを巣から失敬して、記念写真を取り巣に戻しておいたのだが、あれがヒナとの別れになってしまった。可哀想だがカラスも憎めぬ。本当に自然は厳しいのお。家畜となった我らには分からぬ厳しさよ。ヒナが可哀想でシクシク泣いちゃう。

 

この前モズのヒナが親鳥からエサを貰ったのだけど、上手く食べれず何度も咥えなおしているうちに、ポトッと下に落としてしまい、それを口惜しそうに木の上から何度も覗き込んでいる姿がえらいこと可愛らしかった。だけど、モズは雀も食べちまうからな。私は雀をこよなく愛しているので、じゃあモズが憎めるかというとやはり憎めないなあ。

 

私が憎めるのは、人間ぐらいか。会社で仕事してると、かなりの割合でモズやカラスのエサに供物として身を捧げて欲しい人がいっぱいいるからなあ。捧げよ〜捧げよ〜しん〜ぞ〜お捧げよ〜、って、ツバメのヒナの事がショックでついついイケナイ思考になっちまったい。

 

山ハラスメント

山登りをしていない友人に山登りを勧めたところ、退屈だから嫌だという。甥っ子に至っては勧めてもいないが、何をするにもスマホを片手に空いた時間を有効活用する、と言って動画などを見ている。そんな彼には何時間もひたすら歩を進めるだけの登山など、空いた時間をドブに捨てているようなものであろう。

 

私も裏山を散歩する程度の時間なら、仕事の事とか、今日これからの予定などをごちゃごちゃ考えていたりもして、考えをまとめる良い時間として有効活用していると思うが、何時間も山を登っている時は、本当に何も考えていないのだ。たしかにそれを意識してしまう人は退屈に感じてしまうかもな。外部から与えてもらう情報が単一で少ないし、かといって他の事を考える余裕ができない程度には、体力を消耗する。でも私にはある意味この無の時間がすごく居心地がいいのだ。

 

私は単独で山を登るのが大半なので、家族にはえらく心配されている。だから無鉄砲な私にしては登るのも下りるのも慎重に足運びを選んでいる。次はあそこに足を下ろそう、次はこっち。岩登りの時にはあそこに足を置き、こちらに手を付こう、とそういう事を考える、という感じでは無く淡々とこなして行く。野生動物的になってるのかもな。

 

昔見たアニメで、お金が沢山あるとお金が沢山ある生活しか出来なくなる、お金が無ければ無いなりに沢山の生き方が出来る、的な?大分違うか?でもそんなよーなセリフを聞いた事がある。いや、お金がある方が色んな事が出来るでしょ、と思ったが今なら分かる。情報金持ちの私達は、情報過多の生活しか出来なくなりつつあるのかもなー。

 

でもそうだからこそ、山登りはオススメだ。刺激が無いように思うのは情報過多の状態に慣れすぎて、自然から感じる微弱な刺激に鈍くなってるだけだ。言うなら普段生活している時は小さいアンテナでも情報がホイホイ飛んで来てくれるからそれに慣れて、小さいアンテナで山に入るようなものだ。山からの情報を受け取るには大きなアンテナを使用すんだべ。そうすれば色んな情報を受け取れる。そのアンテナを普段も使うようになれば、普段の生活から受けていた情報が全ての生活では無くなって、もっと色んな情報拾えるぜ。つまり悩み事とかも、どーでもよ!って感じになれる。多分。多分ね。効果には個人差があります。だけどね。

 

昨日は山でルリビタキ見れましたよ。低山から春になると高山に移動するので、久しぶりに出会えた。もう、それだけで幸せになれちゃう。雪の上をテテテテと移動して何かついばんでる。もう、それだけで悶える程可愛い。幸せ〜。

 

いや、やっぱり、こりゃ個人差ありありだな。山に向いてる人間と向いてない人間とがいるので、たやすく山ハラはできんな。

 

オオルリと共に泣く

昨日は6月になるとヒルが出てとても登山どころではなくなる山を6月までに、という事で天気も良いし、夏鳥も見れるかもしれないと登山に向かった。

 

それで登ってすぐに夏鳥オオルリに出会った。綺麗な声で囀っている。濃い青に喉や羽の縁が黒い鳥なので、なんかコントラストがあって渋い深みのある青に見える。1羽が飛び回っていて、もう1羽はまったり木の枝でふっくら日光浴をしている。

 

律儀に夏になると来てくれるので嬉しい。別に私の為に来てる訳じゃないけど。キビタキは今日見えなかったけど、キビちゃんはうちの裏山にも来てくれるので、そのうち散歩してたら、あの愉快な黄色ペンギンみたいな姿を拝めるだろう。

 

最近従兄弟が亡くなった。歳は離れているけど、子供の頃は随分可愛がってもらえて、大好きなお兄ちゃんだった。お兄ちゃんはゲイだった。それが理由で色々苦悩や苦労があったようで、何度も死にたくなったという。今はすごくすごく大好きなパートナーさんに出会えて辛い癌の治療も、どうしてもパートナーさんと生きたいから頑張っていたらしい。人生て残酷だよな。死にたいと思っている時はこれでもかと人生ツラミ増し増しでくるのに、生きたいと思う幸せの時に急に奪いにかかるのだから。

 

生きたいと思っても病や事故で亡くなる事もあるのだから、基本私達は生きる事を選択できない。それに比べて死は生きていればいつでも選べる。それにプラスで死は急に選択権なしに頭上に降ってくるから、生きる事に比べて死はなんて容易いのだろう。

 

私たちは死んでる状態の方が正常なのだろうな。だから人間の100年、生きてる状態が異常なんだな。100年異常にもこの自然から急に形を成して生きろ、100年くらい、あ、でも、すぐに形崩れるからね、気をつけてね、では検討を祈る。てなもんなんだな。

 

オオルリを見ていたら、美しすぎて泣けたわ。多分お兄ちゃんの事もあるだろう。よく渡って来たね〜、て気持ちと、よく頑張って生きたね〜お兄ちゃん、て気持ちとごっちゃになって、山で1人泣き笑いしてて怖いわ。

 

桜アイスと質問の答え

桜を見ていたら桜のアイスが食べたくなったので、仕事が終わってからサーティワンにアイスを買いに行った。

 

久しぶりなので奮発して、スモールのダブルにして、大納言あずきとさくら味にした。すごく久しぶりに買ったので店員さんに聞かれた事にいちいち狼狽したが。

 

まず、選んで伝えた後に、店員さんが、今食べられますか?と聞いてきたのだ。え?今?今食うかと聞かれたら、駐車場に停めた車の中で食べようと思うので、歩く時間を含めて若干今ではないような気がする。今、という概念が知りたくなって、キョロキョロ辺りを見回し時計を探してしまったが、どこにもない。大体時計を見つけても、店員さんの言う、今、が分かる訳でもない上に、いきなりキョロキョロし出すお客に困惑しただろう。これはお持ちかえりかそうでないかを知りたい質問て事なんすかね?それならお持ち帰りじゃないから、答えは、はい、でいいのだ、と気を取り直し、はい、今食べます!と元気よく答えた。ふ〜合格。

 

その後お金を払う時に、レジにいた別の店員さんに今度は、フードコートで食べますか?と聞かれた。え?フードコートでは食べないけど、いいえ食べません、と答えたらさっき答えた持ち帰りではない答えとは微妙に齟齬がでる答えにならないだろうか?私はわざわざ入口から遠い駐車場に停めて、車の中から桜を眺めて食べるつもりなのである。フードコートでは食べないが、持ち帰りでも無い。一体店員さんはこの質問の答えからその後どのような業務選択をするつもりなのだろうか?単純にやっぱり持ち帰りでは無いことを確認したいだけなのだろうか。それとも私が永らく買っていなかった間に、フードコートなど持ち帰りで無く今食べる人には何かこう、おまけがつくとか、スガキヤのクリームぜんざいのように、ガラスの器で出されるとか、そういう事なのだろうか?もしそうならおまけが付くなら良いが、車の中で食べるのにガラスの器で出されてそれを戻しに来る事になるのは、めんどっちい。いや、しかし、しかし…

 

という逡巡を5秒の間で行い、答えに窮し、絞り出すように、く、車で食べます、と答えた。店員さんは、はい、分かりました。と言ってふつーにお会計は済んだ。お持ち帰りかそうでないかだけをやっぱり知りたいだけだだったんだよね。それなのに、今の概念に思いを馳せたり、食べる場所を律儀に店員さんに報告したり、自分で自分の行動が可笑しくて車の中で笑ってしまった。

 

そーなんだよなー。昔から深読みし過ぎて、そんな簡単な答えでいいの?ってことでもグルグル考えるクセがあるんだよな、わし。

桜アイスのあまじょっぱい味はサイコーだったし、光に照らされた桜並木も綺麗だったから、まあ、良いか。

 

 

かわいいを浴びる

昨日は山を登っていたら、ワイマラナーというワンチャンと登山している家族と出会った。頂上でご飯を食べている時も隣に座ったので、珍しい犬種であるし、私はワンコ、特に大型のワンコは大好物であるので、不躾と思いながらも、ずっとじ〜と眺めていた。なんて綺麗な体色だろう。薄い目の色も美しい。よく躾されてはいるが、食いしん坊なのだろう、私が食べているものも気になってこちらに来ようとして、ご主人様に叱られている。

 

可愛い。山頂でのちょっとしたアイドルになって注目を集めている。他の人は少し注目しただけで、おのおの自分の世界に戻って行ったが、わたしゃダメだ。気になるものがあると目が離せない。ご飯を食べる間も山の景色を見ずにワンコばかりを眺めていて、途中で、隣の人もガン見されてちゃ食べずらいだろうと気が付き意図的に視線を逸らすも、ちょっと気を抜くと首が自然にギギギと横を向きまたワンコに釘付けになっている。

これはいかんと、サッサっと頂上を後にする。

 

下山していると子供を連れた家族に出会った。先にお母さんと10歳くらいの女の子とすれ違いこんにちは、と挨拶をしてすれ違い、お父さんと5歳くらいの男の子は少し離れているので、それを待ってから進もうと道の端で待っていたのだが、それに気がついた男の子が、すごくキザな手振りをしてクイクイ、こっち来いよ、的な仕草をしている。先に通っていいよ的な意味なのだろうが、そのキザな仕草と、小さいのにジェントルマンな心が可愛くて、思わず笑みがこぼれてしまった。先に通ってもいいの?と聞くと、元気よくうん、と頷く。ありがとうね、と言って去り際に、小さい足を見ると、可愛らしいでもちゃんとした登山靴を履いている。か、可愛い。こんな小さな登山靴あるんだ。萌え〜となったが、彼はジェントルマンであるので、可愛い、と言ったら失礼かもしれないと思い、カッコイイ靴履いてるね、と声をかけたら、ドヤ顔でまたまた力ずよく、うん!と頷いていた。可愛えええええ。

 

え?今日はワイマラナーといい小さなジェントルマンといい、可愛いものを浴びれる日だだったの?山登りだけで癒されるのに、それにプラスで可愛さドンでラッキーな日だったな。

 

これはあれかなー。月曜日から仕事が忙しくなる前のご褒美ってやつかなー。うわー、思い出したくないもの思い出したわ。月曜日の事は月曜になってから思い出そう。それまでは可愛いを浴びた余韻に浸っておこう。

元気でな〜

4月の終わりから3ヶ月間1人不在になるので、その人の仕事もする事になった。それでその人が使用しているファイルとかエクセルとかを少しチェックしただけで頭が痛くなった。凄く綺麗にファイルもNoが振って仕分けされている。仕分け魔なのであろう。仕分けされたファイルの中にまた分類ファイルがありそのまたファイルの中にまた別の分類されたファイルがある。マトリョーシカか。いつまでドア開けさせんねん。と1人で舌打ちをする。たどり着きたいファイルになかなかたどり着けない。

 

それから彼はマクロを組むのを得意としているが、それを使用して実際に発注をするのにデータ取りも含めて、大体3日くらいかかるというのだ。私がクッソテキトーに作った足し算と掛け算だけのシンプルなエクセルで、それも発注点数も断然私の方が多いが、半日もあれば済ませる業務を、彼はマクロを使用して3日かかるってどーゆこと?業務を錬金するマクロでも組んじゃったの?

 

しかし豪に入れば郷に従え、彼の業務をやる間は彼のやり方でやるしかあるまい。私の割り算と掛け算だけの数式しか使ってない幼稚園児エクセルでやりてぇぇぇぇ。という声は飲み込んでおいた。

 

でもファイルが綺麗に分類されているのは見習いたいものだ。私はあれだ。散らかった部屋でも本人はどこに何があるか分かってます、っていうあれそのものだ。めっちゃ使うファイル、そこそこ使うファイル、あんまり使わないファイル、ガラクタ、のフォルダを作ってその中にテキトーにポイポイしているだけだ。

 

私も綺麗に整理したい。マトリョーシカにならない程度に。彼が戻ってきたら時間を作って、色んなデータをセッセッと整理しよう。それまでは、一見雑然と見えるゴミ部屋でも、本人にとっては手の届く範囲に必要なものが機能的に配備されているんだぜい、のままで行こう。いくら整理されていても整理しすぎて項目がめちゃくちゃ増えてマトリョーシカになっても非常にめんどいからな。たどり着きたいデータに、わたしゃ1こか2こまでしかクリックしたくないんや。

 

ああ、嫌だな〜。人の仕事するの。それも私は雑人間、あちらは神経質人間、まったくタイプの違う人間のやり方でやらないといけないので余計に嫌だ。

 

それで今日も裏山にストレス発散にダッシュしたら、今日もタヌ公に3匹あった。それからモズにも。モズはもうすぐ見れなくなるなあ。それからいつものジョウビタキのオスジョビオとメスのジョビリーナタッキーニも最近見ないような。もう旅立ったのかな。また来年私の仕事のストレス発散の為にそのお姿を見せておくんなまし。それまで元気でな〜