無限ループ

この前出張に行った時に、取引先との約束時間までに時間が空いたので、サービスエリアでご飯を食べ、それでも時間が空いたのでみんなで車内でボーっとしていたのだが、その時にふと隣のバンを見ると、運転席で殿方が昼寝をしている。口が半開きなのだが、驚愕した。

 

ものすごく美しい寝顔なのだ。え?え?マジ?口半開きでも美しいってどゆこと?私なんて口しっかり閉じてても、ゾンビなん?生きたゾンビなん?てな寝顔で、オマケにナイアガラの滝並にヨダレを垂らして毎晩寝ているのに、こんな事ってあるぅ??若さなの?それとも元の造形の問題なの?まあ、そのどちらともだろうが、まったく、美しい。

 

惚れ惚れとして凝視していたら、パッチリと目を開けるではないか。瞬時に空に視線を移し、ええ、見てないです、何も。見とれてなんていませんぜ、へへ。と聞こえもしない言い訳をして、スマホに目を落としておいた。

 

美しいといえば、声も年齢に比例して衰えるだろうと思い、少しでも抵抗すべく、ボケ防止も兼ねて夜音読をしようとおもい、宮澤賢治の短編集を夜寝る前に1、2ページ声に出して読んで寝ているのだが、なめとこ山の熊を読んでいたら、涙で声が詰まって読めぬではないか。なんて美しくも哀しい話なのだ。ラストはギャン泣きだ。ごんぎつねもそうだが、動物の絡んでくる何かどうしようもない哀しさのある話は、誠に美しくて泣ける。

 

若い頃より情緒を包み込む絶縁体が不良をきたしている事もあり、むき出しの情緒のおかげで箸が転がっても泣ける性質なのだが、最近などは、山で日の光が葉っぱの間から漏れて黄緑色にキラキラ光ってる景色を見ているだけで、美しさに涙が出てくる。

 

この前などセミが脱皮したばかりで、薄い黄緑がかった乳白色の体と、羽の付け根が少し青緑なのを見て、ほえ〜なんて美しい色だ〜、こんな美しいのに1週間の命かあ、と思っただけで、泣けるという。ほんと、大丈夫?と自分に問いかけちゃう。

 

そういえば祖父の妹である、大叔母さんはそれこそ会う度、〇〇ちゃん、大きくなって、ええ子に育って、兄様も喜んでござるわ、と言って毎回涙ぐんでおり、泣き上戸で親戚内では有名だったが、やはり血は憎めぬというものだ。私も大叔母様に似て泣き上戸なのだろう。

 

そんなで祖父と大叔母様を思い出したら、またもや懐かしさで涙が出てきた。無限ループじゃん。