会話から見える世界

梅雨の貴重な晴れ間。近くのお山を登りに行く。下山してくる人の会話が聞こえる。40半ばの男性2人組の会話は、中島くんはこ馬鹿に出来るが、上田くんはこ馬鹿にできない。という会話。ほう。中島くんはこ馬鹿にできるのか。いや、そもそも人をこ馬鹿にしたらあかんで、ホンマに。

 

その後にすれ違った今度は20代後半くらいの男性2人組の会話は、だからそうじゃなくて、全てのヱヴァンゲリヲンさようなら、っていうのはそう意味なんだよ!って熱のこもったヱヴァンゲリヲンの解説をしている。わいもヱヴァンゲリヲン見たけど、意味が分からない事だらけだから、君の解説をもっと聞かせておくれ、と言いたくなった。

 

その後にすれ違ったのは、50代くらいと30代半ばくらいの女性2人組。こちらの会話は、私の友達も運動不足解消に山結構登ってるんですけど、毎日同じ山登っていたら修行みたいな気持ちになっちゃったんですよ。という会話。そーかー。それ分かるなー。私もダイエットの為に山登り始めて最初は体力がつかなくて、辛いばっかだったんもんなー。と心の中で同意。

 

今日は何かよく人の会話が聞こえた。当たり前だけど、会話の中にその人達の生きてる世界があって、それを一瞬すれ違いざまに見るようで面白い。それで何だかそういう時は無性に旅に出たくなるのだ。人の事はあまり興味もなく関わりたくないのに、どこかで誰かが今日も私の知らない世界を生きているのかと思うと、知らない世界を知りたくなって、旅に出たくなるという意味わかんない感じ。

 

山登りも旅みたいなものだから、いつまでも知らない世界を求めて冒険してたいのかもしれないな、我は。