牛歩

昨日は実家でエビフライなどのご馳走を食べたが、エビも何も自分から殻を脱いで、苦い背わたを抜き去り衣を纏って油に飛び込んでくれる訳でもない。注文の多い料理店の山猫はその点頭がよいな。勝手に料理になってくれるようにシステムを確立させたのだから。

 

しかし冷凍されてコチコチガチガチ、すでに息をしておられないエビをフライにするには、人の手で何とかするより他にない。という事で70匹位の殻を剥き、背わたを抜き取る作業を私1人で、衣を付ける作業は姉妹3人でやった。殻を剥くのはともかく、背わたを抜き取る作業の楽しい事。段々コツを掴んで1度でズルリと背わたを抜き取る時の気持ちよさ。時間を忘れて奴らを骨抜きならぬ背わた抜きにして行く。

 

妹が牡蠣の殻を向いてフライにするのに、その殻の中から瀕死のカニが出てきた。苦しそうにしている。もう虫の息だ。ひとおもいに楽にしてやろうと油にほりこみ揚げて、パクリと食べておいた。美味しい。食べるものと食べられるもの、生きる事は何かの命を確実に犠牲にして成り立つものだ。カニ、エビ、牡蠣、ありがとう。2021年も君たちの命のおかげで生きながらえそうだ。

 

今日は友達と近場の神社の山を登った。低山だが、遠くに見える街の景色と、北側に見える雪景色が対照的で美しい。世の中は美味しいものと美しいものでいっぱいだな。日々淡々と生きる事は淡々とただ足を順番に前に出して進んでいく登山によく似ている。

 

坂は辛いし息は切れるしどこを目指しているのか、どこへ着くのか分からない。でもそれでも足を進めていれば知らぬ間に景色の綺麗な場所へ辿り着いていたりする。だから私は頂上を目指して山を登るの実は嫌いだ。だってあまりにも頂上が遠いと感じると気が重くなるから。だからあくまで足を交互に前へ進めるという作業に没頭しているだけなのだ。それなのにラッキーな事に高みについて美しい景色を見られる。

 

殻を向いて背わたを抜いてという作業に没頭していたら、あらま美味しいエビフライにありつけたました、ラッキー。そんな感じだ。だから何か目標に向かって頑張りましょう、というのが本当に苦手だ。だって目標に届くかどうか、いつ届くかどうか分からないのに上ばかりそればかり見て進んで行くのは辛すぎる。

 

とりあえず目的もなく進んでますけど、この道はどこに進んでいくんですかえね、と淡々と歩を進めていく。人は目的や目標を持ちたがるが、それじゃ辛さをより強く感じやすいし、メンタルが病む人もいるだろう。牛歩で良いから歩を進める。そいでいつかどこか景色の綺麗な所にたどり着けたらラッキーぐらいのゆる〜い感じで今年も行こ。