初登山

新年初登山。遠くに見えるは海でありますな。この海無し山ばかり県からも海が見えるということは、実質ここも海あり県って事で良くないでしょうか?

 

しかし山から見ると距離感がバグる。高速道路を飛ばして1時間、2時間弱近くとかかる場所も手を伸ばせば届くような感覚。名古屋のツインタワーも地上に刺さったアイスバーのようだ。すぐそこに見える。

 

山はいい。低山さえ登っていればお金がかからない趣味と言えよう。それになんと言っても空気は美味いし、人は少ないし景色は綺麗で運動も出来て筋力も体力もつく。あと、私のように人にも時間にも縛られるのが苦手な人にはうってつけだ。登りたいと思った時に1人で登れる。時間にも人にも縛られない。最高。

 

今年はもう少し高い山に登れるようになるといいな。今からワクワクしている。

 


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いいとこ取り

1日朝5時に実家に向かう。毎年前日から泊まっているが、今年は実家住まいの妹が流行りにのってインフルエンザなんかたしなんだお陰で当日に向かう事になった。

 

実家はしがない宗教のしがない末端の教会を営んではいるが、この宗教自体が、いや、日本自体が宗教を必要としなくなっているので、斜陽の時代をそのまま反映し、傾きまくっている。訪れる信者さんも減り今は家族だけで細々と営んでいるだけだ。今日は新年の初詣という事で実家に向かっている。

 

真っ暗な夜の田舎の山の麓に、遠くからでも分かる美しい提灯が光ってとても綺麗だ。田舎だけあってこの提灯を美しいと思ってくれる人もほとんどいない。何故なら隣もその隣も隣の裏も空き家ばかり。限界集落になる日もそう遠くはないだろう。

 

でも、私はそれでいいと思っている。永遠に続くものなどない。何千年も栄華を極めたエジプト文明でさえも、砂に埋もれてしまうのだ。栄華もへったくれもない田舎が、木々や草木に没するのは当然と言えよう。ラピュタだって木の幹がメキメキいっちゃって、ムスカをイラ立たせたくらいだからな。落ち着いたら焼き払ってやる!と叫ぶくらいには。

 

また村が1つ腐海に沈んだ……ってミトさまのセリフを1人呟いてうひゃうひゃ車の中で笑う。新年だから頭もめでたい。

 

私自体は宗教を営んでいる家で育ったが信仰心はあまりない。ただ、信仰というものに触れて育った事は幸運だと思う。社会と言うものはある程度お金の有る無しを幸福としている所もあるが、仏教だろうがなんだろうが古くからの宗教は、お金を幸福の基準としていない。お金=幸福という考え方は私は合っていると思う。でもその考え方しか知らないと、お金が無くなったり無かったりすると、たちまち不幸になってしまう。

 

それで最近火と水と布さえあれば幸福感を味わえる事を発見した。それは湯たんぽだ。あれは人の幸福感を5000倍くらいにしてくれる。仕事で嫌な事があってメソメソしてても、温かいオフトゥンと湯たんぽさえあれば、マジ幸せーー!!って毎晩ハイテンションに雄たけびを上げてしまうくらいは、幸せ。

 

でも、世の中が氷河期になった時に火と水と布(布団)を死守しなければならないとなると、権力がいる。権力は金だ。そうなるとやっぱり幸福は金だな、こりゃまいった。

 

この前お寺に行った時に、凍えそうな寒い中でうっす〜い袈裟で年老いたお坊さんが、階段の落ち葉を箒で掃いていた。その人の顔は凛としていて、暑さ寒さにももちろんお金にも揺らぐことのない、信仰心を感じる。何だか少し泣きそうになってしまった。幸福はやっぱり金じゃないな。こりゃまいった。

 

こんな風にあっちとこっちを行き来出来るから、信仰に触れて育った事は、どちらのいい所取りもできるから幸運だな、と思うのだ。