むかしむかし大きな役所も作り、寺も作り、壬申の乱でも活躍した豪族の遺跡がすぐ近くなので見に行った。古墳にコーフンしてたら誰が?どうして作ったの?て疑問が湧いて来て必然的にその答えを求めて地元の発掘された遺跡を見たくなったという訳だ。
しかしこれは私の悪い癖だ。ひとつの興味持った事の根本から理解したくなって、知識の無さに絶望して探究が止まってしまう。以前生物とは?と疑問が湧いて、そもそも生物も物質だよね、からまずは元素だ、元素、って思って元素の本読んでたら、そもそも何故にそのように元素は振る舞うの?その特性を持たせているものは?ってなったら物理とか学ばないといけなくるよね?ってなって、でも私、おバカさんだから理系はからっきしダメ…となって生物の何たるかを知るのに果てしなく時間が無いと思って、絶望したのだ。
岩石に興味持った時も、本を読み始めてえ?そもそも岩石も元素関わってくるじゃん、覚えることが多すぎぃ〜知りたいこと知るための知識が膨大すぎて答えにたどり着けなさそう〜ってなって絶望した。
仏像に興味持った時も、まずは仏教だ、仏教、って本を読み始めたら?は?仏教宗派も沢山、登場人物(神様)もめちゃくちゃ多いし、おまけに大陸の古の宗教の影響も入ってるからそっちの歴史も学ばないと真に理解できないじゃん、時間なさすぎ、絶望。となった。
今は古墳を理解するために、古事記、日本書紀を読まないといけないな、と思っている。古事記に出てくる神様の名前たちのあの独特の名前は、古代の言葉の情報だよな。古代人の伊吹が感じられる!ってもんで今はネットで良さそげな本を探している。石室の石材も気になってそうなると以前買って全然読み進めれていない岩石図鑑が役に立つな、と引っ張りだしている。
今更気がついたけど、学校の時は個々に国語理科算数、みたいになってて気がつかなかったけど、何かを学ぶってどれも全て根本繋がってて、途方もないや。えいや。そいや。やれどっこいしょ。だな。方墳を見ながらそんな事を思う。
とても大きい石室が墳丘を失いむき出しになっている。この地域でこのような墓を作り寺院も作り、数百年は力を持っていた豪族が、今では存在していたのだろう、的な痕跡のみ残して消えている。のどかな田園風景を見ながら栄枯必衰の理を体感。
でもこの地域の名前は、その豪族由来の音を引き継いだ名前となっている。なんかロマンあるな。失われた繁栄の面影が現代にひっそりとでもしっかり残ってる。たまらん。
いつか私達の地球も、古代に何か生物が住んでいた痕跡がある、ってめちゃくちゃ好奇心旺盛な宇宙人考古学者に発掘されるのかもしれない。宇宙人考古学者みつけてくれるかなあ。遺跡になって待ってるぜよ。