穂高山荘に泊まって奥穂高岳に登ってきた。山荘は縦走の中間拠点に使われる為泊まってる人はガチ勢が多い。一緒の部屋になった女性2人ずつのパーティーも登山歴を聞くと相当長い。色々登山の参考になる事を聞かせてもらえた。北穂は縦走じゃなくて直登なら危険は少ないから奥穂登れたなら登れる、表銀座も歩けるよ、など。縦走ルートに表銀座、裏銀座ってつけた人、ネーミングセンスあるよなあ。
今回の登山はめちゃくちゃキツかった。上高地から一気に穂高山荘まで行くのは体力に自信がある人のみで、大体は途中の山荘で1泊するのだ。おまけに昼から雷予報であったので、昼までに山荘に!と思ってペース上げて登っていたら涸沢についた時点でプッツンと体力が切れてしまった。そこからは5メートル進んで3分休むみたいな感じでゆっくり登った。空気が薄い影響か低山ならひょいひょい登れる勾配が、1歩足を出すだけで息が切れる。全然ゴールが見えてこない。
あまりに辛くて、いや何で私登山なんかしてるんだ?という気になってきた。なんでだろう。苦しくても1歩ずつ進めば絶対山頂に着く、と保証されている事が良い。あと苦しい期間も保証されているから良い。山頂着くまでですよ、と明確である。
すれ違う下山してる人がみんな優しく声かけてくれるから気持ちを奮い立たせて登る。マジで失礼だが私より年配の方達ばかりなので、この年齢の人たちも登ったんだ私に登れぬはずは無い!と気持ちの奮い立たせかた、性格わろしである。
次の日は奥穂高岳に登った。ご来光を見たくて暗いうちにヘッデンをつけて雨で滑りやすい岩場をわりと風の吹く中登った。怖いよりもワクワク感がすごい。山頂は霧に覆われてガスガスだったけど寒さに震えながら粘る事30分。霧が晴れ雲が切れて美しい山々と雲海が朝日に照らされ息を飲む美しさだ。登山しちゃうのはやっぱりこの瞬間が好きなんだろうな。恐ろしいほど美しいけど冷たさも感じる景色。この景色の前では人間は間違いなく等しく平等だ。ただそこに存在しているだけのモノ。何となく死んだらあの景色の方側に行くのだな、と感じちゃう、怖い美しさ。そら山頂に祠祭りたくなるわ。下山する前に手を合わせておいた。
しかし今回も女一人でというのはそれもわりと若め(登山ガチ勢界隈基準)なのは珍しいのかもしれぬ。一人で?と聞かれるしそうだと言うと、すごいね一人で、と言われる事が多かった。一緒に登ろうと言ってくれる人もいるにはいるが、悪いが奥穂は一人で登りたかった。自分とあっち側との逢瀬のお時間なのである。邪魔されたくない。
昨日登山キツ〜楽しくねえ〜って思ってたのに今日はもう次のお山どこ登ろうか考えてる。うちの母がお産の陣痛が苦しすぎてもう子供なんて要らない、って思うのだが生まれてきたら可愛くて可愛くて、また産みたくなっちゃった、って理由で5人も子供を産みなはれたのであるが、それと同じであるな。ほんぎゃ〜美しい景色生まれただべ〜って瞬間が一気に苦しさを忘れさせてくれるため、懲りずに産みにいくのであるな。